後編2-No.1445記録確認度 高
国老記
年月日未詳 / 冊子 858頁
島津義弘が栗野から帖佐へ移り、同地を居城としたことを記す。あわせて阿多長寿院・上井次郎左衛門・伊集院肥前入道一雄を家老として掲げる。 義弘の本拠移転と、その時期の家老構成を同時に確認できる記事である。
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年月日未詳 / 冊子 858頁
島津義弘が栗野から帖佐へ移り、同地を居城としたことを記す。あわせて阿多長寿院・上井次郎左衛門・伊集院肥前入道一雄を家老として掲げる。 義弘の本拠移転と、その時期の家老構成を同時に確認できる記事である。
年月日未詳 / 冊子 358頁/原整理番号 405-4
伊地知季安が、日高十兵衛正盛は帰国後に右の石疵が瘍となり、その年五月二十九日に死去し、隆盛院に葬られて一雄宗将居士と法諡されたと記す。従軍時の胄と右の三通の証文は七代孫の日高与一左衛門が珍蔵し、胄には石痕がなお残るという。
年月日未詳 / 冊子 392頁/原整理番号 493
二十九日辛卯、日高十兵衛正盛が、前日の二十八日の攻城で受けた石疵が治らず死去したと記し、法号を一雄宗勝居士とする。