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HP-1929巻4:67注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

大河平隆重

異名・検索語:大河平源太左衛門隆重/大河平隆重(慶長三年戦死)/源太左衛門

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:小注の永禄七年今城戦死、本人六歳で捕縛、慶長三年三十五歳戦死は年齢・年次の整合が取れない。どの記載を訂正すべきかは確定せず原記載を保持。

DESCRIPTION

本文内容説明

大河平隆重は隆堅の二男。父隆堅とその長子隆光は今城で戦死したと小注にある。隆重は今城没落時に六歳で敵方に捕らえられ、八歳の時、忠平公が商人を遣わして代物を支払い取り戻し、源太左衛門の名を与えたという。文禄元年に高麗へ渡り、番船破り・南原城攻めなどに従軍。泗川の戦では赤威の鎧と青色の羽織を着け、敵三、四人を討ち取った。慶長三年、唐島の番船破りで敵船に飛び乗り戦死し、三十五歳。法号は称念浄心居士。今城戦死を永禄七年とする小注と本人の年齢には整合しない点があり、記載どおり示した。

系譜・人物関係

隆堅の二男。主文隆堅から朱小注を挟んで下段二男也へ接続する。小注では父隆堅は孫左衛門、隆屋の二男。永禄七年に長子孫次郎隆光と今城で戦死。直翁宗弾居士は隆光の法号であり、旧説明の宗弾居士の二男という父名誤帰属を解消。

奉公・役職

今城没落時六歳で敵方に捕縛、八歳で忠平公が商人を遣わし代物を支払って取り戻し源太左衛門と名付ける。今城年次は小注にあるが年齢と整合せず留保。

軍役・事績

文禄元年高麗渡海、番船破り・南原城攻め等。泗川では赤威鎧・青色羽織で敵三四人を討取。慶長三年唐島番船破りで敵船へ飛乗り戦死。唐島の字形は原冊確認し、他地名へ置換しない。

生没・法名等

慶長三年唐島番船破りで三十五歳戦死。称念浄心居士。父隆堅・兄隆光の今城戦死と法号は本人とは別の小注。没日・墓所は無記載。

統合人物ID
HP-1929
原人物ID群
04-067-02-02
氏・分類
大河平
掲載巻頁
巻4:67
主題・活動
捕縛救出・朝鮮軍役・戦死
人物関係要約
隆堅の二男。主文隆堅から朱小注を挟んで下段二男也へ接続する。小注では父隆堅は孫左衛門、隆屋の二男。永禄七年に長子孫次郎隆光と今城で戦死。直翁宗弾居士は隆光の法号であり、旧説明の宗弾居士の二男という父名誤帰属を解消。
検索キーワード
大河平隆重/源太左衛門/隆堅/隆光/二男/今城/捕縛/忠平公/商人/代物/文禄元年/高麗/南原城/泗川/赤威鎧/青色羽織/慶長三年/唐島/三十五歳/称念浄心居士
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全2頁・原冊照合、修正通常AI各全2頁確認済。
公開判定根拠
小注復元で隆堅二男を確認し宗弾の父名誤帰属を解消。捕縛救出・朝鮮軍役・唐島戦死を確認、年齢年次不整合を注記し公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
既存枝番04-067-02-02を維持。一大河平源太左衛門隆重の独立見出しから法号まで上段末・下段冒頭の2頁。第1頁右5pt拡張で系譜小注の朱表示と右端を復元、上端735pt。第2頁の小注冒頭は原冊でも同じかすれで切抜き欠落ではない。修正通常AI各全2頁で系譜の段またぎ・二男也・本文末尾保持を確認。祖先小注は関連内容で新番号不要。
判読保留
小注の永禄七年今城戦死、本人六歳で捕縛、慶長三年三十五歳戦死は年齢・年次の整合が取れない。どの記載を訂正すべきかは確定せず原記載を保持。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』