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HP-1894巻11:212公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

島津忠清

異名・検索語:島津忠清/島津久四郎忠清/久四郎/長満丸/蘭桂純香大禅定門

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

DESCRIPTION

本文内容説明

島津久四郎忠清は幼名長満丸。義弘の五男で、母は家久と同じと注記される。天正十年生まれとあり、文禄二年六月二十三日の義弘書状に久四郎の名が見えると記す。文禄四年七月四日に早世し、十五歳とするが、朱書には没日を三日、享年を十四歳とする異記がある。法名は蘭桂純香大禅定門。栗野徳光寺に葬られ、松下源四郎が殉死したと伝える。具体的な奉公・軍役、死因、没地は記載されない。見出しの子孫に関する領主注を忠清本人の役職とはしない。

系譜・人物関係

義弘五男。母は家久公に同じという注記。幼名長満丸、久四郎。見出し子孫佐司領主島津将監久品の小字を本人の領主職・名乗りと区別。子孫への具体的な養嗣経路は本条に記載なし。義虎三男の備前守忠清HP-1309とは別人。

奉公・役職

文禄二年六月二十三日付義弘書状に久四郎と記すとの注記。旧文禄三年を訂正。本人の役職・知行・任命・使節の具体的記載なし。佐司領主は見出しの子孫注で本人役職にしない。

軍役・事績

本人の具体的軍役・軍功は記載なし。殉死松下源四郎は忠清没後の関連記述で、独立人物見出しではない。

生没・法名等

天正十年生(朱注)。本文は文禄四年未七月四日早世十五歳。朱イ三で没日の四を三、朱イ四で享年十五の五を四とする異記。天正十年から文禄四年は数え十四に相当するが本文十五を消さない。蘭桂純香大禅定門。栗野徳光寺に葬る。葬所を没地に置換しない。死因・墓位置の詳細は不記載。

統合人物ID
HP-1894
原人物ID群
11-212-05
氏・分類
島津
掲載巻頁
巻11:212
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
義弘五男。母は家久公に同じという注記。幼名長満丸、久四郎。見出し子孫佐司領主島津将監久品の小字を本人の領主職・名乗りと区別。子孫への具体的な養嗣経路は本条に記載なし。義虎三男の備前守忠清HP-1309とは別人。
検索キーワード
島津忠清/久四郎/長満丸/義弘五男/家久同母/天正十年/文禄二年/文禄四年/七月四日/七月三日/十五歳/十四歳/蘭桂純香大禅定門/栗野徳光寺/松下源四郎/殉死
公開区分
公開可
精読・確認状況
従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
公開判定根拠
従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
旧AI全1頁を視読し右端の朱書表示の欠けを確認。原冊子第3分冊34頁・冊子212頁下段から再裁断し、確認用・AI用各1頁を旧版保存後差替え。修復版全頁を確認し、系譜小字・日付年齢異注・葬所・殉死者まで保持。次の忠朗混入なし。既存ID保持、新規採番なし。
判読保留
義弘書状年は文禄二年と確認し旧三年を訂正。没日四日/三日と享年十五/十四の異記を併記。子孫佐司領主・将監久品の小字は読みと系譜上の接続を引き続き留保し、本人の役職や実子の存在を推定しない。本人の出自・書状記載・生没異記・法名・葬所で公開可。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』