HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
和泉保重
異名・検索語:和泉保重/和泉勝左衛門保重/勝左衛門/保重
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:末尾の子孫宮之城歟は原文が疑問形。宮之城居住を確定しない。忠長側約100人・敵赤備1万余は本文の記載として示す。
DESCRIPTION
本文内容説明
和泉勝左衛門保重は島津忠長の家臣。朝鮮へ渡海し、泗川合戦で忠長が約100人を率いて1万余の赤備を迎えた際、馬を乗り回して指揮したと記す。敵を追撃する中、忠恒公の馬が倒れて手綱が切れたため、保重は駆けつけて綱を結び直し、忠恒の乗馬を助けた。その後、自分の馬取が追いつかず、馬上では太刀打ちがしにくい一方、馬を捨てることもためらっていた。図師太兵衛定清が馬を引き受けると申し出たので、保重は飛び下りて敵中へ切り入り、太刀を振るった。末尾に子孫は宮之城かと注記する。本人の生没年月日・法名・墓所は記載しない。
系譜・人物関係
勝左衛門保重。島津忠長家臣。図師太兵衛定清と同陣。父祖・家族の具体名は不記載。末尾子孫宮之城歟は居所についての疑問注記。
奉公・役職
島津忠長の家臣として朝鮮へ渡海。泗川合戦で騎馬指揮。忠恒公の手綱を結び直して乗馬を助ける。知行・官職の具体的な記載なし。
軍役・事績
敵赤備1万余と忠長側約100人という本文記載。保重は騎馬で指揮し敵敗走後追撃。忠恒公の馬が倒れ綱が切れたため、保重が走り寄り結び直して御馬へ乗せる。その後自分の馬取が追いつかず馬上で太刀打ち困難となる。馬を捨てることをためらう保重に図師太兵衛定清が馬を引き受けると申し出、保重は下馬して敵中へ切り込み太刀打ち。馬を確保した・騎乗できなかったという旧説明を訂正。
生没・法名等
生没年月日・没地・享年・法名・墓所は不記載。本文は戦闘中の生存行動を述べ、戦死記事ではない。
- 統合人物ID
- HP-1865
- 原人物ID群
- 01-020-06
- 氏・分類
- 和泉
- 掲載巻頁
- 巻1:20
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 勝左衛門保重。島津忠長家臣。図師太兵衛定清と同陣。父祖・家族の具体名は不記載。末尾子孫宮之城歟は居所についての疑問注記。
- 検索キーワード
- 和泉保重/勝左衛門/島津忠長/朝鮮渡海/泗川合戦/赤備/忠恒/手綱修復/図師太兵衛定清/下馬/太刀打/子孫宮之城歟
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 旧AI・通常各全2頁、原冊20頁上下段拡大、修復AI・通常各全2頁を確認。
- 公開判定根拠
- 騎馬指揮・忠恒の手綱修復・図師定清に馬を預けた下馬戦闘を区別。子孫の居所疑問を注記して公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 旧AI・通常各全2頁と原冊20頁上下段を照合。一和泉勝左衛門保重から末尾の子孫宮之城歟まで一記事。第2頁左端の城歟は次人物の混入ではなく子孫注記の折返し。原冊から範囲を調整して末尾小注を欠けなく収め、修復AI・通常各全2頁を確認。第1頁の余白も縮小。次の一壱岐助兵衛は含めない。図師定清の発言は保重の戦闘逸話に属し新規分割不要。2頁・ID・旧OCR維持。
- 判読保留
- 末尾の子孫宮之城歟は原文が疑問形。宮之城居住を確定しない。忠長側約100人・敵赤備1万余は本文の記載として示す。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』