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和泉忠辰
異名・検索語:和泉忠辰/和泉又太郎忠辰/島津忠辰/一作忠永
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
島津実久の孫、薩摩守義虎の子。通称又太郎、一作忠永。祖父以来の出水郡・高城・水引・山野などを領した。天正十五年四月、秀吉の西征で戦わずに降り、川内への案内役を務めた。早期の降伏と案内を賞され朱印を受けて近侍し、島津姓を避けて和泉を称したと伝える。文禄元年、義弘に属して朝鮮へ渡る命を受けたが、釜山浦で病を称して進まなかった。同二年五月一日、秀吉の怒りを買って小西行長に預けられ、領地を没収。同年八月二十七日、朝鮮加徳島で病死し、薩州家は断絶したと記す。本文は二十八歳とするが、知譜秘略の四十一歳説も引き、生年も永禄九年と天文二十二年の異説を載せる。
系譜・人物関係
実久の孫、義虎の子。又太郎、一作忠永。秀吉に近侍。義弘に属する渡海命令。小西行長預け。
奉公・役職
出水郡・高城・水引・山野等を領有。秀吉の川内への案内役。朱印拝領・近侍。和泉改姓と伝える。
軍役・事績
天正十五年に秀吉へ降伏。文禄元年に釜山浦へ至るが病を称して進まず、翌年に処分を受ける。
生没・法名等
文禄二年八月二十七日、朝鮮加徳島で病死。本文二十八歳・永禄九年生、異説四十一歳・天文二十二年生。
- 統合人物ID
- HP-1864
- 原人物ID群
- 13-237-01
- 氏・分類
- 和泉
- 掲載巻頁
- 巻13:237~238
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 実久の孫、義虎の子。又太郎、一作忠永。秀吉に近侍。義弘に属する渡海命令。小西行長預け。
- 検索キーワード
- 和泉忠辰/和泉忠辰/和泉又太郎忠辰/島津忠辰/一作忠永/出水郡・高城・水引・山野等を領有。秀吉の川内への案内役。朱印拝領・近侍。和泉改姓と伝える。/天正十五年に秀吉へ降伏。文禄元年に釜山浦へ至るが病を称して進まず、翌年に処分を受ける。/文禄二年八月二十七日、朝鮮加徳島で病死。本文二十八歳・永禄九年生、異説四十一歳・天文二十二年生。
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- 従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
- 公開判定根拠
- 従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 冊子237下段の独立〇見出しから238上段の年齢考証・朱注末尾まで全2頁。冒頭の一作忠永、末尾の二十八歳注を保持。次の島津中務大輔忠辰は実久の弟で本人物と別人。
- 判読保留
- 二十八歳と四十一歳、生年二説は決着させず併記する。秀吉の軍勢や半佐城主桂忠昉の守城を忠辰の軍歴としない。同名の実久弟・忠辰との自動統合を避ける。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』