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HP-1731巻之四62頁/巻之十二231頁注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

面高英俊

異名・検索語:面高英俊/面高宥泉坊英俊/宥泉坊/面高祐泉坊英俊(旧表記)

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

蓮長院・般若院の小注の呼称関係は留保し、本人の法名・没地とは扱わない。肥前の面高という地名の引用を本人の出生地とはしない。巻十二は名前のみの掲載。

DESCRIPTION

本文内容説明

面高宥泉坊英俊は、市来辺に住む山伏の家の人。永禄四年、貴久の名代として子頼俊と相州鶴岡に参詣した。一月十日に出発したとの小注があり、同六年に帰国した。帰途、京都八幡の御正躰三体を頼俊が背負って持ち帰り、鹿児島清水八幡にあると記す。先代の系譜は不詳とされ、子孫について蓮長院・般若院の名が小注に見える。『諸家大概』の肥前の面高という地名にも言及するが、本人の出生地とは記していない。巻十二の道釈伝は名のみを掲げる。生没年・没地・墓所は記載されない。

系譜・人物関係

代々山伏で市来辺居住。子頼俊が同行。子孫蓮長院と当般若院ナリの小注があるが本人の法名ではない。上世不詳と記す。

奉公・役職

永禄四年辛酉、貴久公名代として子頼俊と相州鶴岡へ参詣。一月十日発足の小注、同六年帰国。

軍役・事績

下向時、京都八幡の御正躰三ツを頼俊が背負い籠下したと記す。鹿児島清水八幡ニテ候とある。諸家大概に肥前之内に面高という地名があるとの記事を引くが、本人出生地とは書かない。

生没・法名等

本人の生没年・没地・法名・墓所は両記事に記載なし。

統合人物ID
HP-1731
原人物ID群
04-062-06/12-231-23
氏・分類
面高
掲載巻頁
巻之四62頁/巻之十二231頁
主題・活動
山伏・貴久名代・鶴岡参詣・御正躰の由来
人物関係要約
代々山伏で市来辺居住。子頼俊が同行。子孫蓮長院と当般若院ナリの小注があるが本人の法名ではない。上世不詳と記す。
検索キーワード
面高/英俊/宥泉坊/祐泉坊/山伏/市来/貴久/頼俊/相州鶴岡/永禄四年/一月十日/永禄六年/京都八幡/御正躰/清水八幡/蓮長院/般若院/諸家大概/肥前
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
二出典の通常AI各計2頁・原冊照合済。巻四修正通常AI各全1頁確認済。
公開判定根拠
参詣・帰国と子頼俊による御正躰運搬を確認。巻十二は名のみの掲載として出典別に整理し、小注の呼称関係を注記して公開。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
一面高宥泉坊英俊から頼俊背負籠下リ鹿児島清水八幡ニテ候まで。下端を98ptとし、頁番号付随線を除去。見出し、小注、御正躰三ツ・子頼俊等の本文全列末尾保持を通常AI各全1頁で確認。巻十二は名のみの別掲記事で既存境界維持。
判読保留
蓮長院・般若院の小注の呼称関係は留保し、本人の法名・没地としない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』