HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
面高英俊
異名・検索語:面高英俊/面高宥泉坊英俊/宥泉坊/面高祐泉坊英俊(旧表記)
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
蓮長院・般若院の小注の呼称関係は留保し、本人の法名・没地とは扱わない。肥前の面高という地名の引用を本人の出生地とはしない。巻十二は名前のみの掲載。
DESCRIPTION
本文内容説明
面高宥泉坊英俊は、市来辺に住む山伏の家の人。永禄四年、貴久の名代として子頼俊と相州鶴岡に参詣した。一月十日に出発したとの小注があり、同六年に帰国した。帰途、京都八幡の御正躰三体を頼俊が背負って持ち帰り、鹿児島清水八幡にあると記す。先代の系譜は不詳とされ、子孫について蓮長院・般若院の名が小注に見える。『諸家大概』の肥前の面高という地名にも言及するが、本人の出生地とは記していない。巻十二の道釈伝は名のみを掲げる。生没年・没地・墓所は記載されない。
系譜・人物関係
代々山伏で市来辺居住。子頼俊が同行。子孫蓮長院と当般若院ナリの小注があるが本人の法名ではない。上世不詳と記す。
奉公・役職
永禄四年辛酉、貴久公名代として子頼俊と相州鶴岡へ参詣。一月十日発足の小注、同六年帰国。
軍役・事績
下向時、京都八幡の御正躰三ツを頼俊が背負い籠下したと記す。鹿児島清水八幡ニテ候とある。諸家大概に肥前之内に面高という地名があるとの記事を引くが、本人出生地とは書かない。
生没・法名等
本人の生没年・没地・法名・墓所は両記事に記載なし。
- 統合人物ID
- HP-1731
- 原人物ID群
- 04-062-06/12-231-23
- 氏・分類
- 面高
- 掲載巻頁
- 巻之四62頁/巻之十二231頁
- 主題・活動
- 山伏・貴久名代・鶴岡参詣・御正躰の由来
- 人物関係要約
- 代々山伏で市来辺居住。子頼俊が同行。子孫蓮長院と当般若院ナリの小注があるが本人の法名ではない。上世不詳と記す。
- 検索キーワード
- 面高/英俊/宥泉坊/祐泉坊/山伏/市来/貴久/頼俊/相州鶴岡/永禄四年/一月十日/永禄六年/京都八幡/御正躰/清水八幡/蓮長院/般若院/諸家大概/肥前
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 二出典の通常AI各計2頁・原冊照合済。巻四修正通常AI各全1頁確認済。
- 公開判定根拠
- 参詣・帰国と子頼俊による御正躰運搬を確認。巻十二は名のみの掲載として出典別に整理し、小注の呼称関係を注記して公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 一面高宥泉坊英俊から頼俊背負籠下リ鹿児島清水八幡ニテ候まで。下端を98ptとし、頁番号付随線を除去。見出し、小注、御正躰三ツ・子頼俊等の本文全列末尾保持を通常AI各全1頁で確認。巻十二は名のみの別掲記事で既存境界維持。
- 判読保留
- 蓮長院・般若院の小注の呼称関係は留保し、本人の法名・没地としない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』