HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
本田正親
異名・検索語:本田正親/本田三河守正親/本田刑部少輔/本田因幡守/本田八右衛門
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:御家老脇の義久公・家久公併記の係り方は保留。どちらか一方の家老と確定しない。/初上洛の年は本文同十六年と脇の朱カらしい補記を保持し、検索用説明では年を確定しない。十五年との異読を根拠なく採らない。/下賜馬の毛色字形は保留し、馬を賜った事実のみ説明に採る。 本文に記された内容と確定した事実を同一視せず、出典も併せて確認してください。
DESCRIPTION
本文内容説明
本田正親は三河守、刑部少輔・因幡守・八右衛門とも記され、親治の子。御使役・家老を務め、初め出水、のち加世田の地頭となった。天正六年の耳川合戦で深手を負い、十年には肥後湯之浦の所領十町余を賜った。十一年に八代在陣、十二年九月には右筆として八代在番、十三年には三舟在陣。十四年の岩屋城攻めにも加わり、竜伯(義久)の初上洛に右筆として供奉した。慶長四年、庄内乱に際する忠恒の帰国出船後、大坂城へ遣わされ、秀頼に帰国の件を報告した。秀頼は喜び、馬を与えた。生没年・没地は記されない。
系譜・人物関係
親治の子。三河守・刑部少輔・因幡守・八右衛門とも記される。
奉公・役職
御使役、御家老、初め出水の地頭、その後加世田地頭。御家老脇に義久公・家久公の小注が併記されるが帰属・異記関係は保留。竜伯初上洛に右筆として供奉。
軍役・事績
天正6年耳川合戦で深手。10年肥後湯之浦所領十町余を賜る。11年八代在陣、12年9月右筆として八代在番、13年三舟在陣。14年筑紫征伐・岩屋城攻め。慶長4年庄内乱に際し忠恒帰国・出船後、大坂城へ遣わされ秀頼に帰国の件を報告、秀頼は喜び馬を与えた。帰国許可を求めたとは本文にない。
生没・法名等
生没年・没地・法名・墓所の記載なし。大坂城は使者の行先で没地ではない。
- 統合人物ID
- HP-1718
- 原人物ID群
- 03-048-03
- 氏・分類
- 本田
- 掲載巻頁
- 巻3:48
- 主題・活動
- 御使役・家老・地頭・右筆・軍役
- 人物関係要約
- 親治の子。三河守・刑部少輔・因幡守・八右衛門とも記される。
- 検索キーワード
- 本田/正親/三河守/刑部少輔/因幡守/八右衛門/親治/御使役/家老/出水/加世田/耳川/湯之浦/十町余/八代/三舟/右筆/竜伯/義久/忠恒/秀頼/馬
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI用PDF全頁精読・境界確認済み(判読保留あり)
- 公開判定根拠
- 全頁精読・境界確認済み。記載箇所に案内できるため、判読・系譜等の留保を注記して公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
- 本文境界判定
- 〇本田三河正親から秀頼より馬を給う末尾まで6列。右の親治、左の親光は別記事。本人の父は親治であり前々記事親知ではない。通常の独立項目分割を維持でき、新番号不要。
- 判読保留
- 御家老脇の義久公・家久公併記の係り方は保留。どちらか一方の家老と確定しない。/初上洛の年は本文同十六年と脇の朱カらしい補記を保持し、検索用説明では年を確定しない。十五年との異読を根拠なく採らない。/下賜馬の毛色字形は保留し、馬を賜った事実のみ説明に採る。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』