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HP-1718巻3:48注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

本田正親

異名・検索語:本田正親/本田三河守正親/本田刑部少輔/本田因幡守/本田八右衛門

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:御家老脇の義久公・家久公併記の係り方は保留。どちらか一方の家老と確定しない。/初上洛の年は本文同十六年と脇の朱カらしい補記を保持し、検索用説明では年を確定しない。十五年との異読を根拠なく採らない。/下賜馬の毛色字形は保留し、馬を賜った事実のみ説明に採る。 本文に記された内容と確定した事実を同一視せず、出典も併せて確認してください。

DESCRIPTION

本文内容説明

本田正親は三河守、刑部少輔・因幡守・八右衛門とも記され、親治の子。御使役・家老を務め、初め出水、のち加世田の地頭となった。天正六年の耳川合戦で深手を負い、十年には肥後湯之浦の所領十町余を賜った。十一年に八代在陣、十二年九月には右筆として八代在番、十三年には三舟在陣。十四年の岩屋城攻めにも加わり、竜伯(義久)の初上洛に右筆として供奉した。慶長四年、庄内乱に際する忠恒の帰国出船後、大坂城へ遣わされ、秀頼に帰国の件を報告した。秀頼は喜び、馬を与えた。生没年・没地は記されない。

系譜・人物関係

親治の子。三河守・刑部少輔・因幡守・八右衛門とも記される。

奉公・役職

御使役、御家老、初め出水の地頭、その後加世田地頭。御家老脇に義久公・家久公の小注が併記されるが帰属・異記関係は保留。竜伯初上洛に右筆として供奉。

軍役・事績

天正6年耳川合戦で深手。10年肥後湯之浦所領十町余を賜る。11年八代在陣、12年9月右筆として八代在番、13年三舟在陣。14年筑紫征伐・岩屋城攻め。慶長4年庄内乱に際し忠恒帰国・出船後、大坂城へ遣わされ秀頼に帰国の件を報告、秀頼は喜び馬を与えた。帰国許可を求めたとは本文にない。

生没・法名等

生没年・没地・法名・墓所の記載なし。大坂城は使者の行先で没地ではない。

統合人物ID
HP-1718
原人物ID群
03-048-03
氏・分類
本田
掲載巻頁
巻3:48
主題・活動
御使役・家老・地頭・右筆・軍役
人物関係要約
親治の子。三河守・刑部少輔・因幡守・八右衛門とも記される。
検索キーワード
本田/正親/三河守/刑部少輔/因幡守/八右衛門/親治/御使役/家老/出水/加世田/耳川/湯之浦/十町余/八代/三舟/右筆/竜伯/義久/忠恒/秀頼/馬
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI用PDF全頁精読・境界確認済み(判読保留あり)
公開判定根拠
全頁精読・境界確認済み。記載箇所に案内できるため、判読・系譜等の留保を注記して公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
本文境界判定
〇本田三河正親から秀頼より馬を給う末尾まで6列。右の親治、左の親光は別記事。本人の父は親治であり前々記事親知ではない。通常の独立項目分割を維持でき、新番号不要。
判読保留
御家老脇の義久公・家久公併記の係り方は保留。どちらか一方の家老と確定しない。/初上洛の年は本文同十六年と脇の朱カらしい補記を保持し、検索用説明では年を確定しない。十五年との異読を根拠なく採らない。/下賜馬の毛色字形は保留し、馬を賜った事実のみ説明に採る。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』