HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
平山備後守忠道
異名・検索語:平山忠道/平山備後守忠道
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:転住先の地名の字形は要校合。本文の「衆地頭分」を正式な地頭任命と同一視しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
平山備後守忠道は庄内陣の山田城攻めで左膝を負傷し、手輿で帰還した。以後歩行ができなくなったと記す。義弘自筆の「天神」の大字を拝領し、脇書には「忠平八十九歳」とあった。義弘に従って飯野から栗野・帖佐平松・加治木へ移住し、元和九年には大隅の新外城へ、衆地頭に相当する立場で召し移され、所中を取り仕切り、その地で没した。子仲兵衛も同行し、父没後は三原次郎左衛門が地頭、仲兵衛が地頭代となって数十年勤めた。末尾には忠続が春日寺へ納めた位牌を東光寺へ移し、知行一石や茶園・器物を供養に充てた経緯を載せる。
系譜・人物関係
子仲兵衛。忠続の位牌供養は一族の関連記事。
奉公・役職
元和九年、大隅の新外城で衆地頭分として所中差引。
軍役・事績
庄内陣山田城攻めで左膝負傷、手輿で帰還。
生没・法名等
転住先で没。没年・享年・法号なし。「忠平八十九歳」は義弘の筆記で忠道の享年ではない。
- 統合人物ID
- HP-1563
- 原人物ID群
- 12-226-01
- 氏・分類
- 平山
- 掲載巻頁
- 巻12:226
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 子仲兵衛。忠続の位牌供養は一族の関連記事。
- 検索キーワード
- 元和九年、大隅の新外城で衆地頭分として所中差引。/庄内陣山田城攻めで左膝負傷、手輿で帰還。/転住先で没。没年・享年・法号なし。「忠平八十九歳」は義弘の筆記で忠道の享年ではない。
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
- 公開判定根拠
- 既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 全1頁。仲兵衛の役職継承と忠続の位牌供養は家の後日談で、独立人物見出しではない。
- 判読保留
- 転住先の地名の字形は要校合。本文の「衆地頭分」を正式な地頭任命と同一視しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』