HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
冨山義信
異名・検索語:冨山義信/富山義信/冨山勘解由左衛門/勘解由左衛門
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
系図引用の弥市兵衛義辰と義信の同定、養実関係・引用中の役職の帰属は「此説如何」とあるため保留。家村氏の通称の細字、朱書の高麗渡海に関する一節の文意も留保し、義信の渡海歴として断定しない。志和須崎居住は原注の推測。
DESCRIPTION
本文内容説明
勘解由左衛門。本文は冨山備中の子とする。天正年間の御軍談合人数五十四人の一人で、のち出水へ召し移され、庄内にも出陣した。朱書には、覚兼の父泰安斉が志和須崎城から冨山勘解由左衛門を使者にしたという『覚兼日記』の記事を引き、当時同地に住んだかと推測する。一方、『諸家系図』の備中養子・弥市兵衛義辰について、家村氏の三男で代官・長野金山奉行・物奉行を務めたとの説を載せるが、本文自身が「此説如何」と疑問を添えており、義信との関係は確定しない。生没年月日・法名・墓所は記されない。
系譜・人物関係
本文は備中の子。諸家系図引用は備中養子弥市兵衛義辰・実は家村氏の三男と記すが此説如何と疑問を付す。引用人物と義信の同定は保留。
奉公・役職
天正年中御軍談合人数五十四人内。系図引用の代官・長野金山奉行・物奉行は本人の確定職歴としない。
軍役・事績
出水へ召し移され庄内出陣。朱の覚兼日記引用に覚兼父泰安斉が志和須崎城から冨山勘解由左衛門を使者としたとあり、当時居住かと推測。高麗渡海朱注の文意は保留。旧大正年間を天正年間へ訂正。
生没・法名等
生没年月日・享年・法名・墓所の記載なし。
- 統合人物ID
- HP-1512
- 原人物ID群
- 03-055-05
- 氏・分類
- 冨山
- 掲載巻頁
- 巻之三55頁
- 主題・活動
- 軍談・移住・軍役・系譜異説
- 人物関係要約
- 本文は備中の子。諸家系図引用は備中養子弥市兵衛義辰・実は家村氏の三男と記すが此説如何と疑問を付す。引用人物と義信の同定は保留。
- 検索キーワード
- 冨山義信/富山義信/勘解由左衛門/冨山備中/御軍談合/天正/出水/庄内/覚兼日記/泰安斉/志和須崎/諸家系図/弥市兵衛義辰/長野金山奉行
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全1頁・原冊照合済。天正・軍談・移住出陣を整理し系図引用を区別。端修復全頁確認済。
- 公開判定根拠
- 本文事績を確認し系図異説の未確定を明示。年代誤記を訂正し注記付き公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 一冨山勘解由左衛門義信から本文出水移住・庄内出陣と朱書末志和須崎ニ居住カまで。○諸家系図は義信条内の異説引用で独立人物に分割しない。次の○冨山弥右衛門は別の人物見出し。左2pt拡張・右2pt縮小attempt2通常AI全1頁を確認。初回左4ptは隣条細片混入で不採用。既存ID保持。
- 判読保留
- 系図引用の弥市兵衛義辰と義信の同定、養実関係・引用中の役職の帰属は「此説如何」とあるため保留。家村氏の通称の細字、朱書の高麗渡海に関する一節の文意も留保し、義信の渡海歴として断定しない。志和須崎居住は原注の推測。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』