HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
菱刈半右衛門尉重広
異名・検索語:菱刈重広/菱刈半右衛門尉重広
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:降伏・安堵の年月には複数の傍記があり、年月の確定は保留。法号字形も要校合。宇治氏からの長い祖系は重広本人の経歴と区別。
DESCRIPTION
本文内容説明
菱刈半右衛門尉重広は鶴千代丸・孫三郎とも称し、重猛の子、母は島津八郎左衛門安久の娘。五歳で父を失い、隆秋が数年間家督を代行した。隆秋らが相良氏に与したため、貴久・義久が出馬して諸城を落とした。大口城の明渡し後、幼い重広は祁答院を頼っていたが、義久の証判で本城・曽木など本領を安堵された。永禄十三年、義久を加冠役として元服。天正元年には本城・曽木を召し上げられ、伊集院の神殿へ替地となった。朝鮮供奉の記載もあり、慶長四年の庄内出陣で十一月十三日に山田城で戦死。法号月松道皎居士と読める。
系譜・人物関係
重猛の子、母は島津安久の娘。隆秋が家督代行。重豊を重猛嫡子、重広を二男とする按語。
奉公・役職
幼少時に本領を安堵され、のち伊集院神殿へ替地。元服加冠は義久。
軍役・事績
幼少時の家の相良方加担と島津軍への降伏を記す。本人は朝鮮供奉、庄内出陣、山田城で戦死。
生没・法名等
慶長四年十一月十三日、山田城で戦死。法号月松道皎居士と読める。生年・享年は明記なし。
- 統合人物ID
- HP-1498
- 原人物ID群
- 12-224-04
- 氏・分類
- 菱刈
- 掲載巻頁
- 巻12:224
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 重猛の子、母は島津安久の娘。隆秋が家督代行。重豊を重猛嫡子、重広を二男とする按語。
- 検索キーワード
- 幼少時に本領を安堵され、のち伊集院神殿へ替地。元服加冠は義久。/幼少時の家の相良方加担と島津軍への降伏を記す。本人は朝鮮供奉、庄内出陣、山田城で戦死。/慶長四年十一月十三日、山田城で戦死。法号月松道皎居士と読める。生年・享年は明記なし。
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
- 公開判定根拠
- 既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 全2頁。第1頁末「各家ヲ可被」と第2頁冒頭「絶候処」が接続。菱刈氏の寺・入眼斎/天岩の話は重広幼時の保護に関する挿話で、独立人物見出しではない。
- 判読保留
- 降伏・安堵の年月には複数の傍記があり、年月の確定は保留。法号字形も要校合。宇治氏からの長い祖系は重広本人の経歴と区別。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』