HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
比志島左馬介義興
異名・検索語:比志島義興/比志島左馬介義興 義武
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:関ヶ原に義興本人が参加したとはしない。通称の年代小字、給宛の制度上の意味は要校合。
DESCRIPTION
本文内容説明
比志島左馬介義興は義武とも記され、義基の子、母は同氏美濃守国守の娘。永禄四年生、天正三年元服。父と日向高城で功を挙げ、矢崎攻め、水俣の脇大将、八代在陣、島原での神代下城受取り、筑紫・肥後・豊後の合戦に従った。根白坂でも父子で軍功を挙げ、日向上地により曽井から鹿児島へ移った。慶長二年、惟新公の朝鮮渡海に供奉し、千石に応じた給宛の感状を受けた。四年、母・弟北原兼茂・叔父国家と伏見へ上り、六月に同地で没、三十九歳。伏見城攻め・関ヶ原の記述は死後の家臣らの行動である。
系譜・人物関係
義基の子、母は国守の娘。北原兼茂は弟、国家は叔父。義元は次項に子と記す。
奉公・役職
水俣・筑紫出陣の脇大将。朝鮮供奉、千石給宛に関する感状。
軍役・事績
日向高城、矢崎、水俣、八代、島原、筑紫・肥後、豊後、根白坂、朝鮮。
生没・法名等
永禄四年生。慶長四年六月、伏見で病没、三十九歳。
- 統合人物ID
- HP-1461
- 原人物ID群
- 12-223-01
- 氏・分類
- 比志島
- 掲載巻頁
- 巻12:223
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 義基の子、母は国守の娘。北原兼茂は弟、国家は叔父。義元は次項に子と記す。
- 検索キーワード
- 水俣・筑紫出陣の脇大将。朝鮮供奉、千石給宛に関する感状。/日向高城、矢崎、水俣、八代、島原、筑紫・肥後、豊後、根白坂、朝鮮。/永禄四年生。慶長四年六月、伏見で病没、三十九歳。
- 公開区分
- 注記付き公開可
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- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 全1頁。末尾「義興病死ニ付」以下は兼茂・国家と義興家臣の後日談。別見出しではなく関連記事として保持。
- 判読保留
- 関ヶ原に義興本人が参加したとはしない。通称の年代小字、給宛の制度上の意味は要校合。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』