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HP-1461巻12:223注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

比志島左馬介義興

異名・検索語:比志島義興/比志島左馬介義興 義武

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:関ヶ原に義興本人が参加したとはしない。通称の年代小字、給宛の制度上の意味は要校合。

DESCRIPTION

本文内容説明

比志島左馬介義興は義武とも記され、義基の子、母は同氏美濃守国守の娘。永禄四年生、天正三年元服。父と日向高城で功を挙げ、矢崎攻め、水俣の脇大将、八代在陣、島原での神代下城受取り、筑紫・肥後・豊後の合戦に従った。根白坂でも父子で軍功を挙げ、日向上地により曽井から鹿児島へ移った。慶長二年、惟新公の朝鮮渡海に供奉し、千石に応じた給宛の感状を受けた。四年、母・弟北原兼茂・叔父国家と伏見へ上り、六月に同地で没、三十九歳。伏見城攻め・関ヶ原の記述は死後の家臣らの行動である。

系譜・人物関係

義基の子、母は国守の娘。北原兼茂は弟、国家は叔父。義元は次項に子と記す。

奉公・役職

水俣・筑紫出陣の脇大将。朝鮮供奉、千石給宛に関する感状。

軍役・事績

日向高城、矢崎、水俣、八代、島原、筑紫・肥後、豊後、根白坂、朝鮮。

生没・法名等

永禄四年生。慶長四年六月、伏見で病没、三十九歳。

統合人物ID
HP-1461
原人物ID群
12-223-01
氏・分類
比志島
掲載巻頁
巻12:223
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
義基の子、母は国守の娘。北原兼茂は弟、国家は叔父。義元は次項に子と記す。
検索キーワード
水俣・筑紫出陣の脇大将。朝鮮供奉、千石給宛に関する感状。/日向高城、矢崎、水俣、八代、島原、筑紫・肥後、豊後、根白坂、朝鮮。/永禄四年生。慶長四年六月、伏見で病没、三十九歳。
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
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公開判定根拠
既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
全1頁。末尾「義興病死ニ付」以下は兼茂・国家と義興家臣の後日談。別見出しではなく関連記事として保持。
判読保留
関ヶ原に義興本人が参加したとはしない。通称の年代小字、給宛の制度上の意味は要校合。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』