HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
白浜重政
異名・検索語:白浜重政/白浜周防守重政/白浜周防守
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:大中公御前様との親族関係は本文に疑問を含むため確定しない。母系・祖父加賀守の名と朱書の係りは細字留保。/戦死地は本文に豊後鶴崎、脇注に高田ともと記す。別の脇注は日記に父子打死とある旨を記すが、参照日記名の字形と子の名は未確定。/没月日・享年・墓所は本文に記載を確認できない。
DESCRIPTION
本文内容説明
白浜周防守重政は上総介重陣の弟。幼少から大中公(貴久)の奥向きに仕えた。貴久は病中、将来役立つ人物として知行と地頭職を与えるよう龍伯公(義久)へ遺言したという。貴久没後、千石を与えられ、御使役・大村地頭となった。天正十二年三月に佐敷へ出陣し、四月には上井覚兼と有馬へ渡海。十四年の岩屋城攻めでは八代に在陣した。十五年に豊後鶴崎で戦死。脇注には高田とする異記と父子戦死の記載がある。没月日・享年は記されず、大中公御前様との親族関係は本文にも疑義がある。
系譜・人物関係
白浜上総介重陣の弟。東郷家・白浜家の系譜小注あり。大中公御前様との親族関係の疑問、母系・祖父名細字は留保。
奉公・役職
幼少から大中公の奥向きに仕える。大中公の遺言により、没後に龍伯公から千石と御使役・大村地頭職を与えられる。
軍役・事績
天正十二年三月佐敷出陣、四月上井覚兼と有馬へ渡海。十四年岩屋城攻めの際に八代在陣。
生没・法名等
天正十五年豊後鶴崎で戦死。高田とする脇注、父子戦死の参照注あり。月日・享年・墓所は確認できない。
- 統合人物ID
- HP-1446
- 原人物ID群
- 11-214-14
- 氏・分類
- 白浜
- 掲載巻頁
- 巻11:214~215
- 主題・活動
- 奥向奉仕・御使役・大村地頭・佐敷出陣・有馬渡海・豊後戦死
- 人物関係要約
- 白浜上総介重陣の弟。東郷家・白浜家の系譜小注あり。大中公御前様との親族関係の疑問、母系・祖父名細字は留保。
- 検索キーワード
- 白浜重政/周防守/白浜重陣/東郷氏/大中公/貴久/龍伯公/義久/御奥向/千石/御使役/大村地頭/佐敷/上井覚兼/有馬/岩屋城/八代/豊後鶴崎/高田/父子戦死
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 旧AI全3頁・原冊214~215頁・修復通常AI各全2頁確認済。系譜注と戦死注を回収。
- 公開判定根拠
- 本人の奉公・軍役を具体化し、系譜の疑義と戦死地異記を明示して検索案内を維持する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 原冊214頁下段左端の一白浜周防守重政と見出し・系譜小注から、215頁上段冒頭の奉公・軍役・戦死記事と父子打死の脇注まで。旧第2頁のほぼ白紙状態を解消し、原冊に沿う2頁に復元。重陣は兄として系譜に現れるだけで独立伝ではない。後続の白浜次郎左衛門重治を含めない。
- 判読保留
- 大中公御前様との親族関係は本文に疑問を含むため確定しない。母系・祖父加賀守の名と朱書の係りは細字留保。/戦死地は本文に豊後鶴崎、脇注に高田ともと記す。別の脇注は日記に父子打死とある旨を記すが、参照日記名の字形と子の名は未確定。/没月日・享年・墓所は本文に記載を確認できない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』