HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
大田忠秀
異名・検索語:大田忠秀/大田筑前守忠秀
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
祖先延久の二男に三とする朱書異注がある。残留日数の数字・助詞の判読は留保。御料人様の実名は本条に記されない。知行二百四十石と元和初年高帳三百石は別の記載として示した。
DESCRIPTION
本文内容説明
大田筑前守忠秀は筑前守忠光の子。御料人様付きとして大坂城にいた。関ヶ原合戦後、御料人様が密かに城を出る際、嫡女於松がその名代として屋敷に残ることになった。忠秀も吉田美作・相良日向らと後に残ってから下る予定だったが、結局は於松とともに供奉して帰国したと記す。残留を申し出た忠節により、知行二百四十石を与えられたという。元和初年の鹿児島高帳には三百石、筑前守の跡は断絶とある。生没年・没地・墓所は記載されない。
系譜・人物関係
筑前守忠光の子。祖父は山城守忠聖入道安心と記す。嫡女於松が御料人様の名代となる。祖先延久との系譜には二男/三の朱書異注がある。
奉公・役職
御料人様付きとして大坂城に籠居。関ヶ原後の脱出に際し、娘於松が名代として屋敷に残る役を担う。
軍役・事績
忠秀・吉田美作・相良日向らの残留予定と、実際には於松同前に供奉して籠下した経過を区別する。残留を御意次第と申し上げた忠節により二百四十石。元和初年鹿児島高帳は三百石、筑前守跡断絶と記す。
生没・法名等
生没年・没地・法名・墓所の記載なし。家の断絶を本人の死去と同一視しない。
- 統合人物ID
- HP-1069
- 原人物ID群
- 04-062-05
- 氏・分類
- 大田
- 掲載巻頁
- 巻之四62頁
- 主題・活動
- 御料人様付き・大坂脱出・於松名代・二百四十石褒賞
- 人物関係要約
- 筑前守忠光の子。祖父は山城守忠聖入道安心と記す。嫡女於松が御料人様の名代となる。祖先延久との系譜には二男/三の朱書異注がある。
- 検索キーワード
- 大田/忠秀/筑前守/忠光/忠聖/安心/延久/御料人様/大坂城/関ヶ原/於松/名代/吉田美作/相良日向/残留/供奉/帰国/二百四十石/元和/鹿児島高帳/三百石/断絶
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全1頁・原冊照合済、修正通常AI各全1頁確認済。
- 公開判定根拠
- 御料人様脱出時の本人と娘の役割、残留予定と実際の帰国、二百四十石・高帳三百石を区別して確認。系譜異注・日数字形を注記して公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 一大田筑前守忠秀から筑前守跡断絶トアリまで。右端を4pt拡張し、延久二男に付く朱書異注全体を保持。通常AI各全1頁で、本文末尾・於松脇注保持と隣条本文の除外を確認。於松は本人の奉公に関わる娘であり、新規人物境界は設定しない。
- 判読保留
- 祖先延久の二男という記載に三とする朱書異注がある。/残留日数に関する三四日・二三日と読める箇所の数字と助詞の区別は留保し、四日後に下るとの旧断定を外す。/御料人様の実名は本条に記載されないため補わない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』