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HP-1069巻之四62頁注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

大田忠秀

異名・検索語:大田忠秀/大田筑前守忠秀

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

祖先延久の二男に三とする朱書異注がある。残留日数の数字・助詞の判読は留保。御料人様の実名は本条に記されない。知行二百四十石と元和初年高帳三百石は別の記載として示した。

DESCRIPTION

本文内容説明

大田筑前守忠秀は筑前守忠光の子。御料人様付きとして大坂城にいた。関ヶ原合戦後、御料人様が密かに城を出る際、嫡女於松がその名代として屋敷に残ることになった。忠秀も吉田美作・相良日向らと後に残ってから下る予定だったが、結局は於松とともに供奉して帰国したと記す。残留を申し出た忠節により、知行二百四十石を与えられたという。元和初年の鹿児島高帳には三百石、筑前守の跡は断絶とある。生没年・没地・墓所は記載されない。

系譜・人物関係

筑前守忠光の子。祖父は山城守忠聖入道安心と記す。嫡女於松が御料人様の名代となる。祖先延久との系譜には二男/三の朱書異注がある。

奉公・役職

御料人様付きとして大坂城に籠居。関ヶ原後の脱出に際し、娘於松が名代として屋敷に残る役を担う。

軍役・事績

忠秀・吉田美作・相良日向らの残留予定と、実際には於松同前に供奉して籠下した経過を区別する。残留を御意次第と申し上げた忠節により二百四十石。元和初年鹿児島高帳は三百石、筑前守跡断絶と記す。

生没・法名等

生没年・没地・法名・墓所の記載なし。家の断絶を本人の死去と同一視しない。

統合人物ID
HP-1069
原人物ID群
04-062-05
氏・分類
大田
掲載巻頁
巻之四62頁
主題・活動
御料人様付き・大坂脱出・於松名代・二百四十石褒賞
人物関係要約
筑前守忠光の子。祖父は山城守忠聖入道安心と記す。嫡女於松が御料人様の名代となる。祖先延久との系譜には二男/三の朱書異注がある。
検索キーワード
大田/忠秀/筑前守/忠光/忠聖/安心/延久/御料人様/大坂城/関ヶ原/於松/名代/吉田美作/相良日向/残留/供奉/帰国/二百四十石/元和/鹿児島高帳/三百石/断絶
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全1頁・原冊照合済、修正通常AI各全1頁確認済。
公開判定根拠
御料人様脱出時の本人と娘の役割、残留予定と実際の帰国、二百四十石・高帳三百石を区別して確認。系譜異注・日数字形を注記して公開。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
一大田筑前守忠秀から筑前守跡断絶トアリまで。右端を4pt拡張し、延久二男に付く朱書異注全体を保持。通常AI各全1頁で、本文末尾・於松脇注保持と隣条本文の除外を確認。於松は本人の奉公に関わる娘であり、新規人物境界は設定しない。
判読保留
祖先延久の二男という記載に三とする朱書異注がある。/残留日数に関する三四日・二三日と読める箇所の数字と助詞の区別は留保し、四日後に下るとの旧断定を外す。/御料人様の実名は本条に記載されないため補わない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』