HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
大田忠綱
異名・検索語:大田忠綱/吉兵衛/忠好/四郎二郎/左近将監(右の異注)
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
母方祖父吉田次郎四郎の実名末字は判読留保。左近将監には右とする朱書異注がある。朝鮮での使者役と関ヶ原での百石褒賞に至る記事を区別した。
DESCRIPTION
本文内容説明
大田吉兵衛忠綱は忠与の子で、元亀元年四月二十六日生。初名は忠好、四郎二郎と称した。朝鮮に従軍し、慶長二年七月、川上六郎兵衛と加徳島から安川原の島津又七・毛利壱岐守らの陣へ使者として赴いた。帰路に敵の番船から急追されたが、無事帰陣した。関ヶ原の陣では帖佐から伊勢平左衛門らと駆けつけ、退却時も主君の側を離れなかったことにより、百石と感状を与えられた。慶安三年五月十六日、八十一歳で没し、福昌寺に墓があると記す。法号は超嶽常越居士。母は吉田次郎四郎の娘。
系譜・人物関係
忠与の子。母は吉田次郎四郎の娘(実名末字留保)。初忠好・四郎二郎。左近将監に右の朱書異注あり。
奉公・役職
朝鮮御供。慶長二年七月、川上六郎兵衛と使者となり、加徳島陣より安川原の島津又七・毛利壱岐守などの陣所へ赴く。
軍役・事績
朝鮮の使者帰路で敵番船に急追されたが無事帰陣。関ケ原御陣では帖佐から伊勢平左衛門等と走り登り、退却時御側を離れず、御高百石・御感状を受ける。旧説明の泗川御陣への帰属を訂正する。
生没・法名等
元亀元年四月廿六日生。慶安三年五月十六日、八十一歳没。福昌寺墓。法号超嶽常越居士。没地は無記載。
- 統合人物ID
- HP-1068
- 原人物ID群
- 04-062-03
- 氏・分類
- 大田
- 掲載巻頁
- 巻之四62頁
- 主題・活動
- 朝鮮出陣・使者・関ヶ原退却・百石褒賞
- 人物関係要約
- 忠与の子。母は吉田次郎四郎の娘(実名末字留保)。初忠好・四郎二郎。左近将監に右の朱書異注あり。
- 検索キーワード
- 大田/忠綱/吉兵衛/忠好/四郎二郎/忠与/朝鮮/川上六郎兵衛/加徳島/安川原/島津又七/毛利壱岐守/敵番船/関ヶ原/帖佐/伊勢平左衛門/百石/御感状/慶安三年/八十一歳/福昌寺/超嶽常越居士
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全1頁・原冊照合、修正通常AI各全1頁確認済。朝鮮と関ヶ原記事を区別。
- 公開判定根拠
- 朝鮮使者役・関ヶ原の功と褒賞・没年月墓所を確認。母方実名末字・官途異注を注記して検索公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 〇大田吉兵衛忠綱から法号超嶽常越居士の閉括弧まで。関ケから次列原御陣への接続を原冊で確認。右端を4pt拡張して初忠好四郎二郎の小注を復元。修正通常AI各全1頁で小注全体と左端法号保持・隣条混入なしを確認。新規人物ID不要。
- 判読保留
- 母方祖父吉田次郎四郎の実名末字は清・滑等の判読を留保する。/左近将監の左に右とする朱書異注があるため官途を一意に確定しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』