HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
大田久千
異名・検索語:大田久千/大田弥市郎久千/吉田清久/吉田治部左衛門清久
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:吉田清久(HP-0320/06-094-02)と同一人物として相互参照するが、両記事の既存IDは保持。/兄名は巻四忠好、巻六小注久好と異記。巻六初称小注と巻四弥市郎の異記関係は留保。/関ヶ原への供奉は確認できるが、退却同行や具体的戦功は本文に明記されない。前条忠綱の没年・享年・福昌寺墓所を転記しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
大田弥市郎久千は吉兵衛忠好の弟。関ヶ原に供奉し、帰国後に五十石と感状を与えられた。本文は二十二歳と記す。その後、吉田美作清孝の養子となり、治部左衛門清久と称した。別掲の吉田清久条にも二十二歳で関ヶ原に供奉して五十石を受けたとあり、実父を大田周防、その二男と記す。ただし兄の名は同条小注では久好で、本条の忠好と異なる。具体的な戦功や退却時の行動は記されず、生没年・没地・墓所も本条にはない。
系譜・人物関係
吉兵衛忠好の弟、吉田美作清孝の養子。改名後の吉田清久HP-0320条では実父大田周防・二男、兄久好と記す。兄名の異記を保持。
奉公・役職
関ヶ原供奉。帰国後五十石と感状を拝領。その後吉田美作清孝の養子となり治部左衛門清久と改称。
軍役・事績
関ヶ原供奉時二十二歳。具体的戦功・退却の行動は本文にない。
生没・法名等
生没年月日・没地・墓所は無記載。前条忠綱の没年・享年・墓所と区別。
- 統合人物ID
- HP-1065
- 原人物ID群
- 04-062-04
- 氏・分類
- 大田
- 掲載巻頁
- 巻4:62
- 主題・活動
- 関ヶ原供奉・五十石褒賞・養嗣・改名
- 人物関係要約
- 吉兵衛忠好の弟、吉田美作清孝の養子。改名後の吉田清久HP-0320条では実父大田周防・二男、兄久好と記す。兄名の異記を保持。
- 検索キーワード
- 大田久千/大田弥市郎久千/吉田清久/吉田治部左衛門清久/清孝/美作/関ヶ原/二十二歳/五十石/感状/養子/大田周防/忠好/久好
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全2頁・原冊62頁と別掲吉田清久通常AI各1頁・原冊94頁を照合。
- 公開判定根拠
- 改名先・養父・関ヶ原供奉・年齢・褒賞が一致。兄名異記と無記載事項を注記し公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 巻四冊子62頁上段左端の一大田弥市郎久千から下段右端の治部左衛門清久ト申ナリまで。刊本1頁の上下段を人物別通常AI各2頁で収録。前の大田吉兵衛忠綱・次の大田筑前守忠秀を含まない。既存境界とIDを維持しPDF変更なし。
- 判読保留
- 吉田清久(HP-0320/06-094-02)と同一人物として相互参照するが、両記事の既存IDは保持。/兄名は巻四忠好、巻六小注久好と異記。巻六初称小注と巻四弥市郎の異記関係は留保。/関ヶ原への供奉は確認できるが、退却同行や具体的戦功は本文に明記されない。前条忠綱の没年・享年・福昌寺墓所を転記しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』