HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
大山綱宗
異名・検索語:大山綱宗/大山三次綱宗
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
没日は本文の正月五日のほか、過去帳に霜月二十二日、有馬藤七兵衛の書状に正月二十五日、久保之忠見聞秘記に八月二十二日とある。『スリ切』の具体的な行為と過去帳の寺院名細字は留保する。
DESCRIPTION
本文内容説明
大山綱宗は三次と称し、稲介幸綱の弟。天正二年生まれ。慶長三年十月朔日の泗川戦では川上久右衛門・寺山久方らと進み、敵の後方へ回って戦った。三尺八寸の太刀が折れると脇差に替え、頭に浅手を負った。同年十一月十八日の海戦では押川公近・黒田宅右衛門と同船し、奪われた金扇の船印は黒田が取り返した。帰朝後、在京中に「スリ切」の風聞で召し戻された。大坂川口で船中に寝ていた際、水主が落ちかかるのを襲撃と誤認して斬りつけ、自ら切腹を申し出て許された。本文は慶長五年正月五日、大坂で切腹、二十七歳、法名勇悍誠忠居士とする。没日は別記に異説がある。
系譜・人物関係
稲介幸綱の弟。三次。天正二年生。冒頭の一生チャセン/糸ビントアリ及び朱髪注は髪形に関する補注として保持し、別人物境界としない。
奉公・役職
高麗渡海。慶長3年泗川と南海の番船破りに従軍。帰朝後在京し、スリ切の風聞により召し戻される。主君の実名は当条に補わない。
軍役・事績
慶長3年10月朔日泗川、川上久右衛門・寺山久方らと追撃。石橋彼方の敵を後方から攻め、長太刀折損後添指に替え、頭に浅手。味方は討死と誤認。11月18日、押川公近・黒田宅右衛門と同船、船纏奪還の主体は黒田。大坂川口で落ちかかる水主を襲撃と誤認し斬傷、自ら切腹を願い許可される。
生没・法名等
本文は慶長5年正月5日、有馬藤七兵衛・犬井三右衛門検使、大坂切腹27歳、法名勇悍誠忠居士。過去帳は霜月廿二日、有馬藤七兵衛の書状は正月廿五日、久保之忠見聞秘記は八月廿二日。過去帳の寺院名は細字留保、墓所の明記ではない。
- 統合人物ID
- HP-1060
- 原人物ID群
- 04-065-03
- 氏・分類
- 大山
- 掲載巻頁
- 巻4:65
- 主題・活動
- 朝鮮軍役・負傷・海戦・切腹・没日異説
- 人物関係要約
- 稲介幸綱の弟。三次。天正二年生。冒頭の一生チャセン/糸ビントアリ及び朱髪注は髪形に関する補注として保持し、別人物境界としない。
- 検索キーワード
- 大山綱宗/大山三次/大山幸綱/天正二年/泗川/川上久右衛門/寺山久方/慶長三年/三尺八寸/押川公近/黒田宅右衛門/金扇/船印/大坂川口/切腹/慶長五年/勇悍誠忠居士
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全2頁・原冊照合、修正通常AI各全2頁確認済。
- 公開判定根拠
- 泗川戦・同船者・船印奪還主体・切腹申出と大坂での死を具体化。没日異記と語義留保を注記して検索公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 第1頁右4ptで朱髪注復元。第2頁左4pt拡張で末尾小注余白を確保、下端108ptとして本文最下行と又久の接続を残し次条一を除去。通常AI各全2頁視認。内容ストリーム保持。
- 判読保留
- 没日は本文正月五日に対し、過去帳霜月廿二日、有馬藤七兵衛の書状正月廿五日、久保之忠見聞秘記八月廿二日という異記を載せる。年月日を統一しない。/在京中の『スリ切』という風聞の具体的な行為は確定せず、従来の窃盗という言い換えを避ける。/鎧の表記は画像では『赤城之鎧』と読め、従来の赤糸威への補正は採らない。過去帳の寺院名細字は留保。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』