← 『本藩人物誌』人物検索へ戻る
HP-1056巻4:66注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

大河平隆利

異名・検索語:大河平隆利/大河平仲太左衛門隆利/仲太左衛門

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:褒賞地名の鍋灰に朱注「塚」が付く。訂正・補記の扱いは留保し、鍋灰・塚・榎田を独立した三地名とは断定しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

大河平隆利は仲太左衛門を称し、隆充の嫡子。永禄五年、伊東方の大軍が大河平を攻め、家臣十余人が戦死し外構も破られたが、家臣を指揮して居城を守った。忠平公はこの戦いを賞し、加久藤内三か所の墨付を与えた。その後、大河平に今城を築き、三百人を籠めたと記され、感状は焼失したとの注がある。永禄六年正月二十八日、二十八歳で病没。法号は玉翁明珠居士。没地・墓所は記されない。褒賞地名の鍋灰に付く朱注「塚」の扱いは留保する。

系譜・人物関係

隆充の嫡子。後継関係は本条に記載がなく、別条確認前に混在させない。

奉公・役職

忠平公から軍功を賞され、加久藤内三か所の墨付を被下。地名鍋灰には朱塚が付くほか榎田を記す。三か所の内訳は確定しない。

軍役・事績

永禄五年に伊東方大軍が大河平を攻撃。木場筑後・渡辺三兵衛ほか家臣十余人が戦死し外構破却、隆利が家臣を指揮し居城を保持。其後依御恩、大河平築一城号今城、御人数三百人被召籠とある。隆利が自ら三百人を任命配置したとは断定しない。御感状焼失トイヘリという小注あり。

生没・法名等

永禄六年正月廿八日、二十八歳にて病死。法号玉翁明珠居士。没地・墓所は記されない。

統合人物ID
HP-1056
原人物ID群
04-066-03
氏・分類
大河平
掲載巻頁
巻4:66
主題・活動
伊東勢への防戦・忠平公褒賞・今城
人物関係要約
隆充の嫡子。後継関係は本条に記載がなく、別条確認前に混在させない。
検索キーワード
大河平隆利/仲太左衛門/隆充/永禄五年/伊東/籠城/忠平公/加久藤/三か所/墨付/今城/三百人/感状焼失/永禄六年/正月二十八日/二十八歳/玉翁明珠居士
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全1頁・原冊照合、修正通常AI各全1頁確認済。
公開判定根拠
籠城・忠平公褒賞・加久藤三所・今城・没年月日法号を確認。地名朱注の扱いを留保し注記付き公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
〇大河平仲太左エ門隆利から左端朱注法号玉翁明珠居士までの独立記事。途中の家臣名は隆利条の戦死者列記で新人物紹介に分割しない。右3pt拡張で嫡子脇朱表示復元、左2pt縮小で次条断片除去。通常AI各全1頁・原冊78下段・修正通常AI各全1頁を確認。既存ID保持。
判読保留
褒賞地名の鍋灰に朱注「塚」が付く。訂正・補記の扱いは留保し、鍋灰・塚・榎田を独立した三地名とは断定しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』