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HP-1014巻9:158~159注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

相良長泰

異名・検索語:相良長泰/相良日向守長泰/日向守/新右衛門尉/入道閑栖斎/閑栖斎

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:本文の天文五年生と享年八十六は整合しない。没年は原冊拡大で寛永六年、没日は五月廿九日と読むが、数字にかすれがある。旧説明の五月十五日を訂正し、推算で生年を変更しない。/祖先系譜・見出し小注の細字と和歌の全語釈には追加校合を要する。家臣や祖先の名・地名・軍役を本人異名へ取り込まない。

DESCRIPTION

本文内容説明

肥後相良氏の支流。日向守、新右衛門尉、入道閑栖斎。御使役を務め、八代城を守り、有馬への使者となった。八代・財部地頭を歴任。天正十三年の合志城攻めに従い、翌年の高森城攻略では先登し、副将として岩屋城を攻めた。義久の使として求摩にも赴いた。文禄年中、忠恒の朝鮮渡海で船奉行を務め、釜山浦で贈答の返礼使となった。庄内陣や犬追物にも参加。関ヶ原の際は大坂におり、平田増宗らの方策で屋敷を出て、明石沖で義弘の船に合流した。寛永六年五月二十九日没と読む。本文の天文五年生と享年八十六は整合しない。本人の和歌、家久の詠歌・追悼歌を載せる。没地・墓所は当条に記されない。

系譜・人物関係

肥後相良氏の支流。本文は相良氏祖先の系譜を掲げるが、親子関係の細字は留保する。

奉公・役職

御使役、八代・財部地頭。有馬へ使者。義久の使として求摩へ赴く。忠恒の朝鮮渡海で木脇三左衛門と船奉行を務める。

軍役・事績

合志・高森・岩屋城等の九州戦役、朝鮮での返礼使、庄内陣、犬追物射手。関ヶ原時は大坂から屋敷を出て明石沖で義弘の船へ合流。本人と家久の和歌を載せる。

生没・法名等

寛永六年五月廿九日没と読む。天文五年生・享年八十六の不整合は留保。没地・墓所は本文無記載。

統合人物ID
HP-1014
原人物ID群
09-158-10
氏・分類
相良
掲載巻頁
巻9:158~159
主題・活動
地頭・使者・九州戦役・朝鮮船奉行・大坂脱出・和歌
人物関係要約
肥後相良氏の支流。本文は相良氏祖先の系譜を掲げるが、親子関係の細字は留保する。
検索キーワード
相良長泰/閑栖斎/御使役/八代城/財部地頭/有馬/合志城/高森城/岩屋城/求摩/義久/忠恒/船奉行/釜山浦/庄内陣/犬追物/関ヶ原/大坂/明石沖/義弘/和歌
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
旧AI全3頁・原冊158~159頁・修復通常AI各全3頁確認済。生年享年不整合・細字等留保。
公開判定根拠
地頭職・使者・九州軍役・朝鮮船奉行・大坂脱出を本人条から整理。生没の疑義を注記して本文への検索案内を可能とする。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
全3頁が本人条。第1頁右境界を1.533378pt内側へ移し隣接小片を除去、本人見出し・小注を保持。第3頁左上リは所持ナリの折返しで保持。後続○相良玄蕃助頼豊は含まない。新人物分割なし。
判読保留
本文の天文五年生と享年八十六は整合しない。没年は原冊拡大で寛永六年、没日は五月廿九日と読むが、数字にかすれがある。旧説明の五月十五日を訂正し、推算で生年を変更しない。/祖先系譜・見出し小注の細字と和歌の全語釈には追加校合を要する。家臣や祖先の名・地名・軍役を本人異名へ取り込まない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』