HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
上井経兼
異名・検索語:上井経兼/上井治部少輔経兼 初甚六
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
没日は本文二十七日、七の脇に九の異注がある。没地・墓所は本文に記載なし。
DESCRIPTION
本文内容説明
上井治部少輔経兼は覚兼の嫡子で、母は敷根備中守頼賀の娘。初め甚六と称し、天正十年四月一日生まれ。文禄四年、十四歳で朝鮮へ渡り、慶長三年冬に武庫公父子の帰朝に供奉し、そのまま伏見で奉公した。慈眼公の犬追物では射手を務めた。慶長十五年、比志島国貞を介して家久に願い、信州高島の諏訪因幡守頼満を訪問。同姓であることを理由に諏訪氏を称する許可を得て、上井から諏訪へ改姓した。元和初年の高帳には千二十八石とある。寛永九年七月二十七日に病没、五十一歳。没日の七には九の異注がある。法号は超岩明越居士。家臣谷山兵八が殉死した。本文に没地・墓所の記載はない。
系譜・人物関係
覚兼嫡子、母敷根備中守頼賀女。初甚六、治部少輔。上井から諏訪へ改姓。
奉公・役職
文禄四年十四歳朝鮮渡海。慶長三年冬武庫公父子帰朝御供、そのまま伏見奉公。慈眼公犬追物の射手。慶長十五年、比志島国貞を介し家久へ願い出て信州高島の諏訪因幡守頼満に参上、同姓を理由に諏訪氏称号免許。
軍役・事績
上井から諏訪に改姓。元和初年高帳千廿八石。朝鮮での具体的戦功は本文にない。
生没・法名等
天正十年四月朔日生。寛永九年申七月廿七日病死、年五十一、超岩明越居士。七の脇にイ九。申は年の干支で閏月ではない。谷山兵八殉死の朱注。没地墓所は記載なし。
- 統合人物ID
- HP-0763
- 原人物ID群
- 04-060-01
- 氏・分類
- 上井
- 掲載巻頁
- 巻之四60頁
- 主題・活動
- 朝鮮渡海・伏見奉公・犬追物射手・諏訪氏改姓
- 人物関係要約
- 覚兼嫡子、母敷根備中守頼賀女。初甚六、治部少輔。上井から諏訪へ改姓。
- 検索キーワード
- 上井経兼/治部少輔/甚六/諏訪氏/覚兼/敷根頼賀/武庫公/慈眼公/家久/比志島国貞/諏訪頼満/信州高島/伏見/朝鮮/超岩明越居士/谷山兵八
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全1頁・原冊600dpi照合済。姓名経兼を保持、没年申七月と日付異注を確認。
- 公開判定根拠
- 出自・渡海・奉公・改姓・知行・病没を確認。没日異注を明記して本文へ案内可能。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 〇上井治部少輔経兼から家臣谷山兵八殉死・元和初年高帳千廿八石の朱注まで。前条覚兼の日記付記と次条上井源左衛門秀秋は別人物。通常AI全1頁と原冊60頁上段を照合し、境界変更不要。
- 判読保留
- 没日は廿七日だが七の脇にイ九とあり、二十九日との異記を留保する。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』