HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
市来家綱
異名・検索語:市来家綱/市来清十郎家綱/清十郎/家綱
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
慶長十九年の大坂人数賦にある清十郎は家綱戦死後の同名記事で、子孫の誰かは確定しない。四人・乗馬一疋・二百五十二石六斗八升を家綱本人へ帰属させない。
DESCRIPTION
本文内容説明
市来清十郎家綱。市来軍助の二男で、市来出羽守入道幸雲の婿養子。文禄二年、島津忠恒の朝鮮出兵に供奉し、御荷物役を務めた。小注には『朝鮮軍記追加』では近習とあることも記す。慶長三年十月一日、明軍が泗川へ攻め寄せ、敗走した敵が隊を立て直して島津忠長の備えを攻めた際、家綱は一人で敵中へ斬り込み戦死した。子の和泉守は各所の奉行職・納殿役を務めたという。末尾には慶長十九年の大坂出陣人数賦に清十郎、四人・乗馬一疋、高二百五十二石六斗八升とあるが、家綱戦死後の記録なので本人の出陣・知行には帰属させない。年齢・法号・墓所は記されない。
系譜・人物関係
市来軍助二男、出羽守入道幸雲の聟養子。其子和泉守。従来の実父市助・単なる養子を訂正。通称は清十郎、旧原見出し源十郎を訂正。
奉公・役職
文禄二年忠恒公朝鮮御供、御荷物役。小字朝鮮軍記追加ニ近習ト有之という異記を保持。
軍役・事績
慶長三年十月朔日、明軍泗川へ攻来、御切出後敵敗北、茅国器が備えを整え島津忠長の備えへ攻撃。家綱一人敵中に切入戦死。子和泉守方々奉行職納殿役。慶長十九年大坂人数賦の市来清十郎(四人・乗馬一疋・高252石6斗8升)は本人戦死後につき別帰属として留保。
生没・法名等
慶長三年十月一日、泗川で戦死。旧慶長二年を訂正。年齢・法号・墓所不記載。
- 統合人物ID
- HP-0646
- 原人物ID群
- 01-015-05
- 氏・分類
- 市来
- 掲載巻頁
- 巻1:15
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 市来軍助二男、出羽守入道幸雲の聟養子。其子和泉守。従来の実父市助・単なる養子を訂正。通称は清十郎、旧原見出し源十郎を訂正。
- 検索キーワード
- 市来家綱/清十郎/市来軍助二男/幸雲婿養子/忠恒/御荷物役/近習/朝鮮軍記追加/慶長三年/十月一日/泗川/島津忠長/戦死/和泉守
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI全1頁・原冊15頁・修復通常AI各1頁を照合済み。
- 公開判定根拠
- 実父・婿養子・清十郎と慶長三年戦死を訂正。戦死後の同名記事の帰属留保を付けて本文へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- AI全1頁・原冊15頁(第1分冊26頁)・修復通常AI各1頁を照合。家綱見出し・幸雲婿養子と軍助二男・軍役・戦死・其子和泉守・大坂人数賦注まで保持。右3pt拡張で系譜朱表示を復元、左1.5pt内側調整で隣の微小文字片を除去。和泉守と同名清十郎は関連補記で独立見出しなし、新規採番せず本人事績とは分離する。
- 判読保留
- 慶長十九年の大坂人数賦にある清十郎は家綱戦死後の同名記事で、子孫の誰かは確定しない。四人・乗馬一疋・二百五十二石六斗八升を家綱本人へ帰属させない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』