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HP-0085巻1:18注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

伊東右衛門助

異名・検索語:伊東右衛門助/右衛門助

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:馬越地頭の前に「移」と見える字があり原表記の解釈は留保。/子の喜左衛門には朱注「イ右」がある。/天正15年の記事は「豊後陣ノ節肥後関城」と記す。関城の比定は未確定。/子孫名の小誉太刀は細字のため確定保留。

DESCRIPTION

本文内容説明

伊東右衛門助。島津家臣となった時期は不詳。惟新公の飯野在住時に馬越の地頭を務めたと記す。永禄11年正月20日、忠平公が羽月飛田瀬で苦戦した際に軍功を挙げ、天正9年の水俣陣と肥後八代在陣でも働いた。天正15年の陣では急攻した敵を退け、秀吉進軍時には新納忠元に開城を命じる使者を務めた。子の喜左衛門は忠恒公の御納戸役として朝鮮に渡り、慶長4年の庄内陣で戦死。その子の肥前守祐貞は御屋形・御勘定・口事・御船奉行、坊津・溝辺・内之浦などの地頭を歴任し、寛永17年の人数賦に高260石・人数10人とある。右衛門助本人の没年・没地は記載しない。

系譜・人物関係

子は喜左衛門(朱注に右の異記)、孫は肥前守祐貞。「其子」が二度続くので祐貞を本人の養子とした旧説明を訂正。子孫伊東源右衛門・小誉太刀と記す。

奉公・役職

本人は惟新公飯野在住時の馬越地頭と記す。子喜左衛門は忠恒公御供・御納戸役。孫祐貞は御屋形奉行・御勘定奉行・口事奉行・御船奉行、坊津・溝辺・内之浦等地頭。役職を世代間転用しない。

軍役・事績

永禄11年正月20日羽月飛田瀬で忠平公の難戦時軍功。天正9年水俣陣・肥後八代在陣。天正15年豊後陣の節肥後関城で急攻を血戦で退け、秀吉御動座時に忠元へ下城使者。子は朝鮮渡海。孫は寛永17年人数賦高260石・人数10人。

生没・法名等

本人の没年・没地・享年・法名は不記載。慶長4年庄内陣戦死は子喜左衛門の事績。孫の没年没地は不記載。

統合人物ID
HP-0085
原人物ID群
01-018-02
氏・分類
伊東
掲載巻頁
巻1:18
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
子は喜左衛門(朱注に右の異記)、孫は肥前守祐貞。「其子」が二度続くので祐貞を本人の養子とした旧説明を訂正。子孫伊東源右衛門・小誉太刀と記す。
検索キーワード
伊東右衛門助/馬越/忠平/惟新/羽月飛田瀬/水俣/八代/新納忠元/喜左衛門/忠恒/庄内/肥前守祐貞/口事奉行/坊津/溝辺/内之浦
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI全1頁・通常全1頁・原冊18頁および細字拡大照合済み。
公開判定根拠
軍功・使者役と子・孫の事績を分離。忠恒公・其子・口事奉行を再確認し、細字・城名の疑義を明示して公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
AI・通常各全1頁と原冊18頁(第1分冊29頁)を確認。一伊東右衛門助から寛永十七年人数賦高二百六十石人数十人トアリまでが対象。喜左衛門・祐貞は二度の「其子」でつながる家族付記で、独立見出しへの切替ではない。前後人物の混入なし。両PDF・頁数・原人物ID・旧OCRを維持し、新番号は設けない。
判読保留
馬越地頭の前に「移」と見える字があり原表記の解釈は留保。/子の喜左衛門には朱注「イ右」がある。/天正15年の記事は「豊後陣ノ節肥後関城」と記す。関城の比定は未確定。/子孫名の小誉太刀は細字のため確定保留。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』