HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
伊地知太郎兵衛
異名・検索語:伊地知太郎兵衛/太郎兵衛
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
訂正:冒頭は「朝重四男」と記され、旧説明の「初め甚四郎」は誤読でした。幼名は景松、法号は門祝道悦と読めますが最終確定を留保します。豊見親方には「城カ」の校注があり、補訂は断定していません。
DESCRIPTION
本文内容説明
伊地知太郎兵衛は朝重の四男で、幼名は景松と読める。元和元年、琉球三司官の豊見親方から筆者を求められて渡海した。その後は横目を務め、明国へ二度渡った。琉球国王から当摩村の地頭職と高三十石を与えられたと記す。子孫は琉球の当摩氏になったという。法号は「門祝道悦」と読める。詳細は別の覚書があるため省略するとされ、生没年月日・没地・墓所は明記されない。
系譜・人物関係
太郎兵衛は朝重四男。幼名景松と読めるが細字留保。旧説明の初め甚四郎・のち喜松は撤回。子孫は琉球当摩氏。
奉公・役職
元和元年、琉球三司官豊見親方の筆者依頼で渡海。その後横目相勤。琉球国王から当摩村地頭と高三十石。豊見の脇に城カの校注がある。
軍役・事績
明国へ両度罷渡と記す。渡航目的・年月日・詳細職務は明記なし。委細ハ覚書有之故略スとして別の覚書に詳細を譲る。本人の琉球奉仕・渡海であり、子孫当摩氏の事績を混入しない。
生没・法名等
法号門祝道悦と読めるが冒頭字の最終確定留保。生没年月日・没地・没齢・墓所は明記なし。
- 統合人物ID
- HP-0084
- 原人物ID群
- 01-008-02
- 氏・分類
- 伊地知
- 掲載巻頁
- 巻1:8
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 太郎兵衛は朝重四男。幼名景松と読めるが細字留保。旧説明の初め甚四郎・のち喜松は撤回。子孫は琉球当摩氏。
- 検索キーワード
- 伊地知太郎兵衛/朝重四男/琉球/当摩氏/元和元年/三司官/豊見親方/筆者/横目/明国/渡海/当摩村地頭/三十石/覚書
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI用PDF全1頁を追加精読し原冊8頁・細字と照合、前後境界を確認済み
- 公開判定根拠
- AI用PDF・原冊細字を照合し父朝重の四男と訂正。琉球三司官からの筆者依頼、横目、明国二度渡航、当摩村地頭・高三十石を具体化。幼名・法号と親方名の校注を示して記載箇所へ案内できるため注記付き公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 原冊8頁上段伊地知太郎兵衛から法号と委細ハ覚書有之故略スまで本人記事。冒頭見出し一の印刷が薄いが原冊も同様で、切取欠落ではない。右朝重四男小注と左端末尾まで保持、前朝重・次重賢混入なし。新番号・PDF修復不要。
- 判読保留
- 幼名は景松、法号は門祝道悦と読めるが、細字の最終確定を留保。/依頼者は豊見親方と記され、城カの校注が付く。豊見城への補訂は断定せず原記載を保持。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』