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追録7-No.815記事旧記雑録暫定版・確認中

重豪千眼寺を再興せしむ(原本・目録815)

文化2年9月再造許可・12月着工、文化4年10月27日落成、翌年4月6日二丸へ像到来・翌日安置(本文)/整理ID 旧記雑録追録7_文書0815

確認度高
この文書は暫定版です

現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。

概要

寿国寺管下の千眼寺は旧来鹿児島荒田村にあって廃壊して久しかったが、文化2年乙丑9月、黄檗派大幻が再造を請い許された。西田村屏風迫に地を選び影堂も建て、同年冬12月に着工し文化4年丁卯10月27日に落成した。沿革注では、旧号福寿庵で皇徳寺管下にあり、廃壊後の元文2年に住僧随縁が私財で再造して中村に置き、千条山千眼寺と改称、改宗して寿国寺へ隷属したとする。随縁は島津助之丞久内の鼻祖・島津市正忠広の二男で当地に住した僧と記し、その後も長く廃していたとする。江戸白金瑞聖寺主の沖和尚を開基、大幻を寺主とし、尊師を開基とする禅家法の注がある。階を歴て門主となり、寺班は幸善寺の次、山号を万徳山と改めた。重豪は金350両を寄附して官へ貸し、息銭を給することとし、江戸で仏匠に自らの像を刻ませた。本文の翌年4月6日に本府二丸へ到来し、翌日影堂へ納め、木主も置き、万歳の後に年月などを記すよう戒めた。千眼寺は黄檗山管下となり寿国寺には再び隷属しないとする。出典は重豪公御譜中。許可・着工・落成・像安置と、寄附・利息・所属変更を分ける。

登場人物

重豪、黄檗派大幻、沖和尚(江戸白金瑞聖寺主・開基)、随縁、島津助之丞久内、島津市正忠広、仏匠

宛先

独立宛名なし

キーワード

千眼寺再興、福寿庵、随縁私財再造、屏風迫、影堂、沖和尚開基、大幻寺主、万徳山、寄附三百五十両官貸利息、寿像木主、黄檗山管下

冊子頁

253頁

読込量

小

面白さ

★★★★★

原文を確認

(2)152~346頁(寛政10~文化6).pdf