島津久富・島津久郷家老連署書状
〈寛延二年〉十月三日/整理ID 旧記雑録追録5_文書0580
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概要
寛延二年十月三日、嶋津主鈴・矢柄が嶋津主殿・樺山主計・伊勢兵部・義岡左平太・鎌田典膳・平田靱負へ、兵庫の忌服と出府に関する届書・幕府への取次手続を報告する。八月七日に本多伯耆守から受けた指図は八日に知らせ、片道二十三、四日目の承知を見込んだ。その後、八月五日の小笠原縫殿助の指図も吟味して九日に申し越したところ、九月三日・四日の便で国元に届き、三日から十月二十二日までの忌と十三月の服を受ける旨が伝えられたため、その内容の届書を整えることを求める。八月五日の指図をもとにすると九月三日まで片道二十七日目となるが、勤事と余事では所要日数が異なるという朱書の返答を承知したとも記す。忌服・出府の指図への請は他方の扱いも照会し、御一類方の内から申し上げること、九月十三日の国元出立の届などを整えることを求める。兵庫の名書を整え、以前の指図に用いた小笠原縫殿助へ取次方式を岩下佐次右衛門を通じて相談したところ、縫殿助へ書付と忌服届書を内見に出すよう返答があった。前月二十九日、御用番の堀田相模守へ請書を持参し、無事に受け取られたことを佐久間源太夫が伝える。また、源太夫が兵庫の定式忌服・出府の指図書付を携えて参上し、九月三日に薩州で承知した旨の受けの書付と忌服届書を御用番へ差し出し、本多への報告のため書付写を御用人へ渡した経緯を記す。御守殿櫻田にも承知日と十三日の出立予定を知らせ、使番を通じて関係先へ伝えるよう依頼する。届下書、受けの書付写、留守居首尾書の三通を添え、隅州様と兵庫へ報告するよう求める。目録の連署人名と署名の実名には異同がある。
登場人物
嶋津主鈴(久郷)・嶋津矢柄(久寛)・嶋津主殿(久柄)・樺山主計(久初)・伊勢兵部(貞起)・義岡左平太(久忠)・鎌田典膳(政昌)・平田靱負(正輔)・兵庫・本多伯耆守(正珍)・小笠原縫殿助(持廣)・佐久間源太夫・岩下佐次右衛門・堀田相模守(正亮)・御守殿・隅州様
宛先
嶋津主殿殿・樺山主計殿・伊勢兵部殿・義岡左平太殿・鎌田典膳殿・平田靱負殿
キーワード
兵庫、忌服、九月三日承知、十月二十二日、十三月、九月十三日出立、届書、名書、幕府取次、小笠原縫殿助、岩下佐次右衛門、佐久間源太夫、堀田相模守、本多伯耆守、御守殿櫻田、添書三通
冊子頁
208~209頁
読込量
中
面白さ
中
(2)166~310頁(寛延2~寛延4).pdf