追録5-No.559祭文旧記雑録暫定版・確認中
島津忠雅祭文
〈寛延三年〉八月十日(本文「庚午」「小祥」)/整理ID 旧記雑録追録5_文書0559
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概要
島津加賀守忠雅が島津宗信の小祥に寄せて奉献した祭文。冒頭に宗信の戒名・官位を掲げ、薩摩・大隅・日向三国の国主で琉球国を兼領したこと、寛延二年己巳七月十日に州城の正寝で没したことを記す。続いて当年を庚午とし、小祥の礼典が終わったと述べる。忠雅は高源の支派であり、世代を隔てて子孫へ分かれても、受けた恩の深さは海や山にたとえて尽くせないとして、八月十日を選び、大安寺主黙堂と十余名に命じ、福昌寺の宝殿で宗信の霊位を祭らせた。供物と精進の膳、花燭・香を整え、法施を加えて祭文を告げる。 詩句では、三国の主としての文武、英傑との交わり、領内への熟慮、徳行と統治を称え、早世と世の無常を悼む。「訃驚東武」「路隔千里」と詠み、東武で訃報に驚き、千里隔たる道程と受けた恩の厚さを述べ、荼毘の知らせに慟哭した心情を表す。末尾では、薄い供膳でも誠意は言葉に尽くせないとして、祭儀と法施を受け、卑詞を鑑みるよう願う。朱書に「島津加賀守忠雅獻之」とある。
登場人物
島津加賀守忠雅(奉献者)・島津宗信(追悼対象)・大安寺主黙堂(祭礼を命じられた僧)
宛先
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キーワード
島津忠雅、宗信、小祥、庚午年、八月十日、大安寺主黙堂、十余名、福昌寺、法施、東武での訃報、追悼祭文
冊子頁
201~202頁
読込量
小
面白さ
高
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(2)166~310頁(寛延2~寛延4).pdf