島津久富・島津久郷家老連署書状
〈寛延二年〉八月八日/整理ID 旧記雑録追録5_文書0538
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概要
寛延二年八月八日、嶋津主鈴・矢柄が樺山主計・伊勢兵部・鎌田典膳・平田靱負へ、慈徳院殿宗信の死去に伴う兵庫の忌服と出府について報告する。逝去の日から定式の五十日・十三月の忌服を受け、届出も済んだことは六日の便で伝えていたが、七日に本多伯耆守から留守居一人を呼ぶ切紙が届き、佐久間源太夫が赴いたところ、国元で承知した日から忌服を受けるよう指示された。御用人小坂仁左衛門から別紙の書付を渡され、六日に留守居名書を本多へ差し出していた旨も記す。七日の指図をもとに飛脚片道二十三、四日目の到着を見込み、国元で承知した日から何月何日まで忌服を受けるか届けるよう求める。その届書を留守居名書と相談し、御用番へ差し出して本多へ首尾を伝えること、御守殿へ内証で知らせ、御付の御用人を通じて尾張・お喜代・嶋津加賀守や関係者へも伝えることを依頼する。領国中や屋敷中には忌服の日数に応じて知らせ、京大坂と隣国への通知を手配し、八月の月代日数や京大坂の慎の日数についても申し談じるよう求める。細川方は出立・道中とも常式の参勤より急ぐと承知したので、兵庫も出立を急ぎ、船中は遊び間が多く中国・美濃路を通ると見込む。五日の指図以来の日数も考え、飛脚が中途で滞る場合に備えて海陸二手を急いで差し立て、国元・京大坂の手当を求める。右筆から渡された書付の写し一通を添える。目録の連署人名と署名の実名対応には疑義がある。
登場人物
嶋津主鈴・嶋津矢柄・樺山主計・伊勢兵部・鎌田典膳・平田靱負・慈徳院様(宗信)・兵庫・本多伯耆守・佐久間源太夫・小坂仁左衛門・御守殿・尾張様・お喜代様・嶋津加賀守・細川様
宛先
樺山主計殿・伊勢兵部殿・鎌田典膳殿・平田靱負殿
キーワード
宗信死去、慈徳院、兵庫、忌五十日、服十三月、国元承知日、留守居名書、本多伯耆守、佐久間源太夫、小坂仁左衛門、月代、出府、京大坂、中国美濃路、海陸急飛脚、書付写
冊子頁
189~190頁
読込量
中
面白さ
中
(2)166~310頁(寛延2~寛延4).pdf