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追録5-No.1418重年公御譜記事旧記雑録暫定版・確認中

重年夫人卒シ大円寺ニ葬ラル(記事)

〈宝暦四年〉閏二月二日~八月十九日/整理ID 旧記雑録追録5_文書1418

確認度要確認
この文書は暫定版です

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概要

重年夫人が病を得て床に伏し、湯薬による治療を受けても効なく、宝暦四年閏二月二日に江戸芝邸で死去した記事。法諱は智光院殿心顔貞鏡大姉で、芝の大圓寺へ葬った。三日夜に入棺し、六日夜に霊柩を芝邸東門から出して同夜大圓寺へ入れ、九日夜に葬礼を営んだ。島津主殿久鴻が神主を護持し、側用人菱刈孫兵衛實詮・財部孫之丞盛興、留守居赤松甚右衛門則正、使番本田六左衛門親相、代納殿役人白井猶右衛門昌住・郡山嘉右衛門貞雄・貴島幸右衛門國在らが供奉した。ほかの代納殿役人以下も葬場に列し、導師は大圓寺海卯和尚であった。閏二月十日から十四日まで中陰の梵儀を修した。同月二十日に訃報が薩府へ届いた。六月二十六日早朝、遺髪を大圓寺から国元へ送り、田中源之丞國盤と新番代納殿役、奥横目以下の軽士らが護送した。遺髪は行列では駕物と呼び、国元へ着いて営む際には髪と称するとの元注がある。東海道・伊勢路を進んで大坂から船で西海を航行し、薩州向田へ上陸、八月十九日に福昌寺へ入り、その日に廟所へ遺髪を納めた。出典は重年公御譜。

登場人物

重年夫人(智光院殿心顔貞鏡大姉)・島津主殿久鴻・菱刈孫兵衛實詮・財部孫之丞盛興・赤松甚右衛門則正・本田六左衛門親相・白井猶右衛門昌住・郡山嘉右衛門貞雄・貴島幸右衛門國在・大圓寺海卯和尚・田中源之丞國盤

宛先

該当なし

キーワード

重年夫人、智光院殿、病臥、閏二月二日死去、三日入棺、六日出棺、九日葬礼、島津久鴻、菱刈實詮、財部盛興、赤松則正、本田親相、白井昌住、郡山貞雄、貴島國在、海卯和尚、中陰十日~十四日、二十日訃報、六月二十六日遺髪出発、田中國盤、代納殿役、八月十九日福昌寺納髪

冊子頁

466~467頁

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中

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(3)311~473頁(寛延4~宝暦4).pdf