諸家大概記
観応年間、島津忠昌代、島津義久(龍伯)代、島津忠良(日新)以来、島津貴久代、関ヶ原合戦時/原整理番号 100
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概要
『諸家大概記』所収の藤原姓上原氏由緒。観応頃に市来院伊作田を領した伊作田兵部太夫道材・中務丞尚経と足利直冬の御教書などを挙げる一方、伊作田から上原への称号変更が、一時的な名乗り替えを経たのか後に上原へ固定したのかは不詳とする。島津忠昌代に上原藤左衛門が奉公し、島津義久(龍伯)代に上原筑前守が兵具奉行を務め、その子孫上原休兵衛を嫡家とする。筑前守の弟・上原長門守尚常の系統は島津忠良(日新)以来近習として仕え、貴久代から地頭職、のち飫肥移地頭となって九州御退治で軍労を尽くし、代々地頭を務めたといい、近年の上原長次郎をこの筋とする。さらに上原伝左衛門の先祖が島津家久に付属し、上原貞右衛門が関ヶ原で島津豊久とともに戦死したこと、曽於郡衆中の上原掃部左衛門が系図を所持したこと、上原勘助の先祖が長門守に従って飫肥へ移住したこと、上原八郎左衛門が休兵衛二男家であることを記す。
登場人物
伊作田兵部太夫道材、伊作田中務丞尚経、足利直冬、島津忠昌、上原藤左衛門、島津義久(龍伯)、上原筑前守、上原休兵衛、上原長次郎、上原長門守尚常、島津忠良(日新)、島津貴久、上原伝左衛門、島津家久(中務)、上原貞右衛門、島津豊久、上原掃部左衛門、上原勘助、上原八郎左衛門
宛先
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キーワード
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冊子頁
256頁
読込量
小
面白さ
★★☆☆☆
(2)217~382頁(諸家系図4~5).pdf