← 検索結果へ戻る
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 332日記旧記雑録拾遺暫定版・確認中

寛明日記

年月日未詳/原整理番号 332

確認度高
この文書は暫定版です

現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。

概要

『寛明日記』の二月二十七日条。翌二十八日の総攻めを評議するため諸将が戸田左門の陣へ集まり、巳の下刻、濃茶を飲んでいたところ、物見が鍋島勢の攻撃開始を告げた。鍋島信州は自軍が法を背いて軽率に出丸へ攻め込んだことを嘆く。鍋島安芸が出丸に敵がいないのを見て乗り込み、榊原飛騨守ら諸勢が続き、城内各所で戦闘となった。黒田右衛門忠之の攻撃では黒田美作の進言・指揮を経て城へ乗り込み、上下二百十三人が討死したとする。細川勢も鍋島勢に続いて海手から諸郭へ入り、詰の丸東端へ九曜旗を立て、手負・死人は数百人に及んだと記す。占領地を鍋島先手へ渡して後陣を引き取るよう松平伊豆守信綱が命じ、水野作州父子は従い、有馬蔵人は当初拒んだが七、八度の下知ののち寺沢後陣へ退いた。諸勢は二の丸・三の丸まで攻め入り、夜を明かした。

登場人物

戸田左門・鍋島信州・鍋島安芸・榊原飛騨守・黒田右衛門忠之・黒田美作・細川越中守・松平伊豆守信綱・水野作州父子・有馬蔵人ほか

宛先

宛先なし(日記記事)

キーワード

寛明日記、二月二十七日、二月二十八日総攻め評議、戸田左門陣、濃茶、鍋島信州、軍法違反、鍋島安芸、出丸、榊原飛騨守、黒田右衛門忠之、黒田美作、討死二百十三人、細川越中守、海手、三の丸、二の丸、詰の丸、九曜旗、手負・死人数百人、松平伊豆守信綱、水野作州、有馬蔵人、寺沢後陣、七八度下知

冊子頁

216~218頁

読込量

大

面白さ

★★★☆☆

原文を確認

(2)177~354頁(寛永軍徴16・17・18の上・18の下).pdf