後編3-No.56文書
島津義弘書状
(慶長元年)五月朔日
確認度中
概要
島津義弘が宰相殿へ、平松の家作が粗末で雨漏りし、家中の者も難儀しているため、平松の役人に修築を申し付けたことを述べる。使者や家臣の動向、伊東孫八の書状到着、又八郎忠恒の帰朝・上洛と迎えの国分左京亮派遣、高麗への出船、求聞持修行や平田豊前の子の大峯入峰に祈念を命じたことなどを報告し、返書を求めた書状。
登場人物
島津義弘、宰相殿、島津忠恒(又八郎)、国分左京亮、伊東孫八、平田豊前、藤次郎
宛先
宰相殿
キーワード
島津義弘書状、慶長元年五月朔日、島津義弘、宰相殿、平松、家作、雨漏り、修築、家中、伊東孫八、島津忠恒、又八郎、帰朝、上洛、国分左京亮、高麗、出船、求聞持修行、平田豊前、大峯入峰、祈念、返書
冊子頁
19~20頁
読込量
大
面白さ
★★★★☆
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(1)例言・目次・本文1~135頁(文禄5~慶長2).pdf
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採用済みの翻刻・訳文
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原文写し
管理人採用済み「義弘公御譜中」
「正文在加治木衆城権右衛門」
猶々ひら松家作、あまりくゝ見苦敷候、いかやうのまつしきものも、そのほとくゝに家をも作り、かけをかくす事にて候、誠にころひかりたる家にすけをかいたて、そらのはれ候てよりも、家の内は雨露にぬれられ候ありさまをもかもハす、かんにんさせ申候、家中之者の心さし存しやり候へハ、はらの立事にて候、曲事千萬ニ存候、さりとてハくゝ、あるにかひなきたゝすまい不可然候、平松やく人共へいゑ作りの事申付候へと、眩枕へ申置候つる、いかゝ調候哉、いよくゝひらまつへも、ゆるかせなきやうにと、われら申として申ふくめらるへく候、兼又藤次郎殿物かをれ候ハてハせうしにて候、たそ呉見共申ものもなくて、氣まませニおいたゝされ候てハ、其身事ハ不可及申ニ、それかため近一段めいわくたるへく候、とにかくにくゝ、手習をせいにいられ候てかんようたるへく候、此よし我等申として、念比ニ申こさせれへく候、眩枕ふた所・外山ふうふへ、いつれくへも可有心得候、將又高麗へ又々人を越申候、可爲一二日内候、定名護屋邊にて參相候するとそんち候、追々吉左右申へく候、以上、
其後は思ハしきたよりもおハし候はて、文にてさへもとかく申さす、無音の至り心もとなく候所に、伊東孫八にて卯月朔日の文同月廿七日到着候、先々其元無事ニ候由聞え候て、うれしくおもひ被申候、こゝもといよくゝ無事に候、御心やすかるへく候、させる事ハす共、たより過さす、こまゝそこともやうたい文して可承候、其元うつり候へハ、やかてふたくとのほり候へ、よろつ取まきれ、なに事もか事も申付置事もなくて、留主居の御さひしさ、さこそと存はかりニ候、
一又八郎殿歸朝之事、馬乘十騎程めしつれ、高麗よりすくに上洛いたすへきよしおほせ出され候間、爲迎と國分左京亮さし渡し候、定此ころハ參陣いたし候はんと思存候、なこやへ此程居られ候ゆうけきも近々上洛之由候、さやうニ候者、又八郎殿尊体む可被急ときろくひ存計ニ候、又八郎殿爲使大山かん右衛門尉、此五日以前罷上候、高麗おは今月二日に出船候由申候、又八郎殿一段と聞えニ御入候由申候、めでたき事と申すはかりに候、然者三月は又八郎殿いゝ月たるよし候間、就中高野におにて求聞持修行之祈念いたし候、又平田豊前の子大峯花供ニ入峯候間、是にも祈念の儀共申付候、かれこれ祈念之事申付候間、又八郎殿歸朝無何事めでたくおはし候ハんと待かね申事に候、定而そこもとおなし心ニまちかね給はんと存はかりに候、御れうにんさまもしに御渡り候や、めつらしくこそ文して可申候へ共、別にかはる事もなく候まゝ、無其儀候、よきやうにあい心え申させられるへく候、兼又ひらまつへも從其元心心得頼入候、めでたく、かしこ、
「朱カキ」
「慶長元年カ」五月朔日
「此書、義弘公宰相殿御宛之御書ナルヘシ」
- 根拠・参照箇所
- geminiによる原文写し。要精査。
- 投稿者
- keicho
- 投稿日
- 2026-08-10
書き下し文
管理人採用済み「義弘公御譜中」
「正文加治木衆城権右衛門に在り」
尚々(なおなお)平松の家作、あまり苦々しく(見るに耐えないほど悪く)見苦しく候。いかようの貧しき者も、そのほどほどに家をも作り、陰を隠す事に候。誠に転がりたる家に、すげ(菅)を掻き立て、空の晴れ候てよりも、家の内は雨露に濡れられ候有り様をも構わず、堪忍させ申し候。家中之者の志存じやり候えば、腹の立つ事に候、曲事(不届き)千万に存じ候。さりとしては苦しく、あるに甲斐なき佇まい然るべからず候。平松の役人共へ家作の事申し付け候えと、眩枕(ひじまくら)へ申し置きつる、いかが調い候哉。いよいよ平松へも、ゆるがせなきようにと、我等申すとして申し含めらるべく候。
兼ねてまた藤次郎殿(島津久賀)物買われ候ては笑止(困りもの)に候。誰ぞクレ見(後見役・世話役)とも申す者もなくて、気ままに生い立ちさせられ候ては、その身の事は申すに及ばず、それが見ため近(近親者)一段迷惑たるべく候。とにかくに苦しく、手習いを精に入れられ候て肝要たるべく候。この旨我等申すとして、ねんごろに申し越させられるべく候。
眩枕ふた所(夫婦)・外山夫婦へ、いずれへも心得あるべく候。
将又高麗へ又々人を遣わし申し候。一二日内のべく候。定めて名護屋辺にて参り合い候と存じ候。追々吉左衛門申すべきに候、以上。
その後は思わしき便りもおわしまさで、文にてさへもとかく申さず、無音の至り心もとなく候処に、伊東孫八にて卯月朔日の文同月二十七日到着候。先々それ元無事に候由聞こえて、嬉しく思い申され候。ここもといよいよ無事に候、御心安かるべく候。させる事話さずとも、便り過さず、こまごまとそことも様態文して承るべく候。それ元移り候えば、やがてふた殿(二人の姫君/御上・御下)上り候え。よろづ取り紛れ、何事もか事も申し付け置く事もなくて、留守居の御寂しさ、さぞと存じ推し量るばかりに候。
一、又八郎殿(忠恒)帰朝の事、馬乗十騎ほど召し連れ、高麗より直ぐに上洛致すべき旨仰せ出され候間、迎えとして国分左京亮差し渡し候。定めてこの頃は参陣いたし候わんと思存候。名護屋へこのほど居られ候遊撃(遊撃将軍=明の使者)も近々上洛之由候。さ様に候わば、又八郎殿尊体出迎うべく、急ぎときめき(準備に心を躍らせ)存じ測るばかりに候。又八郎殿使者として大山勘右衛門尉、この五日以前罷り上り候。高麗をば今月二日に出船の由申し候。又八郎殿一段と聞こえにお入り候由(大変良い評判であると)申し候、めでたき事と申すばかりに候。然れば三月は又八郎殿いい月たるのよしに候間、就中(なかんずく)高野(高野山)において求聞持修行の祈念いたし候。また平田豊前の子大峰花供に入峰(にゅうぶ)候間、これにも祈念の儀ども申し付け候。かれこれ祈念の事申し付け候間、又八郎殿帰朝何事もなくめでたくおわしまさんと待ち兼ね申す事に候。定めてそこもと同じ心に待ちかね給わんと存じ推し量るばかりに候。
御両人様(義久様やご家族など)もしにお渡り(おいで)候や、珍しくこそ文して申すべきに候えども、別にかわる事もなく候まま、その儀無く候。よきように相心得させられるべく候。兼ねてまた平松へもそれ元より心得頼み入り候。めでたく、かしこ。
五月朔日
(義弘より)
宰相殿
- 根拠・参照箇所
- geminiによる書き下し文。要精査
- 投稿者
- keicho
- 投稿日
- 2026-08-10
現代語訳
管理人採用済み追伸。平松(の屋敷・陣屋)の建築作業が、あまりにもお粗末で見るに耐えないほど悪く、情けない限りです。どんなに貧しい者であっても、それ相応に家を建てて雨風を凌ぐものです。本当に傾いたような家に菅(すげ)を申し訳程度に掛け立て、空が晴れている時でさえ、家の中が雨露に濡れるようなひどい状態のまま我慢させているとのこと。奉公している家臣たちの気持ちを思うと、腹が立って仕方がなく、不届き極まりないことだと存じます。それにしても惨めで、あのような甲斐のない佇まいのままにしておくわけにはいきません。平松の役人たちへ「きちんと建て直すように」と指示を出すよう眩枕(川上忠智)へ申し置いておきましたが、その後どう進んでいるでしょうか。平松の件については、決しておろそかにしないよう、私(義弘)からの命令だと言ってしっかりと言い含めてください。
また、藤次郎殿(島津久賀)が無駄遣いや買い物を繰り返しているとしたら困ったことです。誰か後見(世話役)としてしっかり指導する者もおらず、気ままに成長してしまっては、本人にとっても良くないばかりか、近親者にとっても大変迷惑なことになります。とにかく嘆かわしいことですので、手習い(学問・修養)に精を出させるよう言いつけることが何より重要です。この旨、私からの言葉として懇ろに言い送ってください。
眩枕夫婦と外山夫婦の両方へ、それぞれよろしくお気配りをお願い申し上げます。
なお、朝鮮(高麗)へ向けて再び使者を送ります。一二日中には出発する予定です。きっと名護屋(肥前)のあたりで落ち合えることでしょう。詳しいことは追って吉左衛門から申し上げさせます。以上。
その後は、期待していたようなお便りもなく、手紙でさえ何も言ってこられないので、便りの途絶えていることが心配で気が気ではありませんでした。そんな折、伊東孫八が4月1日付のお手紙を同月27日に届けてくれました。まずはそちら(国元)で皆様が無事にお過ごしとお伺いでき、本当に嬉しく思っております。こちらの状況もますます無事ですので、どうかご安心ください。大した用事がなくても便りを欠かさず、こまごまとそちらの様子を手紙に書いて知らせてください。そちらの準備が整い次第、すぐに二人の姫君(御上・御下)を上京させなさい。色々と忙しく紛れてしまい、あれこれ指示を十分に言い残すこともできず、留守を守るあなたの寂しさはさぞかしとお察し申し上げるばかりです。
一、又八郎殿(忠恒)の帰国についてですが、「馬乗(騎馬武者)10騎ほどを連れて、朝鮮から直接上洛(京都へ)せよ」との(秀吉様からの)上陸・上洛命令が出されましたので、お迎えとして国分左京亮を渡海させました。今頃は陣中に到着している頃かと存じます。名護屋にしばらく滞在していた遊撃将軍(明の使者)も近々上洛するとのことです。そうなれば、又八郎殿の無事なお姿を出迎えることができようと、今から急ぎ楽しみでワクワクしながら心待ちにしているばかりです。
又八郎殿の使者として大山勘右衛門尉が、この5日前にこちら(京都・大坂)にやってまいりました。朝鮮を今月2日に出航したとのことです。又八郎殿は(現地で)大変素晴らしく良い評判をとっておられると聞き、これ以上目出度いことはないと喜んでおります。また、3月は又八郎殿にとって運気の良い月であるとのことでしたので、特に高野山において求聞持法(記憶力増進・無病息災の秘法)の祈祷を執り行いました。また平田豊前の子供が大峰山の花供(はなく)の行事に入峰(修行)しますので、これにも無事の祈念を申し付けました。あれこれと祈禱を手配いたしましたので、又八郎殿が何事もなく目出度く帰国されるのを待ちかねているところでございます。きっとあなたも同じ気持ちで待ち焦がれていらっしゃることとお察しいたします。
御両人様(義久様やご家族など)がもしそちらへおいででしたら、珍しくお手紙でも差し上げるべきですが、別に変わったこともございませんので手紙は控えました。どうぞよろしくお伝えください。かねてより平松の件も、そちらからよろしくお気配りをお願い申し上げます。目出度く、かしこ。
(慶長元年)5月1日
(義弘より)
宰相殿
- 根拠・参照箇所
- geminiによる現代語訳。要精査。
- 投稿者
- keicho
- 投稿日
- 2026-08-10