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後編3-No.44文書

島津義弘書状

(慶長元年)四月五日

確認度

概要

島津義弘が宰相殿へ、新正八幡の屋根葺板について雨露に濡れないよう手配を求め、祈念の札などへの礼、又八郎の帰朝を喜んで酒樽一荷を贈ることを伝えた。伊集院源介の上洛と、帰朝する又八郎を迎えるため國部ぬいを派遣したことを報告する。さらに安住三州から義弘の娘を庄内へ遣わすよう求められた件は、義弘が留守で源次郎も上洛中のため、義弘自身の下向後に対応するとした。父子の星供成就と高麗・京都のため、般若寺別当坊に不動護摩を七日修行させたことも喜んだ書状。

登場人物

島津義弘、宰相殿、島津又八郎(忠恒)、伊集院源介、富山備中入、國部ぬい、伊集院幸侃、安住三州、源次郎、義弘の娘、般若寺別当坊、広枕夫妻、高麗引残衆

宛先

宰相殿

キーワード

島津義弘、宰相殿、島津忠恒、伊集院源介、富山備中入、國部ぬい、伊集院幸侃、安住三州、源次郎、義弘の娘、新正八幡、屋根修理、祈念札、酒樽、帰朝、出迎え、庄内、上洛、星供、不動護摩、般若寺別当坊、高麗、京都、書状

冊子頁

15

読込量

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★★★★☆

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(1)例言・目次・本文1~135頁(文禄5~慶長2).pdf

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採用済みの翻刻・訳文

3

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原文写し

管理人採用済み
「義弘公御譜中」 「正文在加治木衆城権右衛門」 猶々 新正八幡へ上ふき板之事、於其元ニ談合申候様に、富山備中入へ弓断致まし由、我等申候由、其より可被申候、まつつく雨露に御ぬれ候ハぬ様に、さいかく肝要候、一主事茂座主前よりならぬ事ニ候ハ、、かし候儀ふん々やうにおひてハ、肱枕前よりもことハリ候て可然存候、兼又石へ祈念之札・はいちゝ、一ゝ頂載いたしました候、誠ニこゝろさし程、一入よろこひに存候、將又又八郎殿歸朝、さこそうれしく思ひ候、こなたもおなし心にてそ、すもしあるへく候、次ニかすかに候へ共、御酒樽一荷持せ候、しようくへんあるへく候、又いつれもく奉公申、男女共辛労之由、從其心得頼存候、眩枕ふうふへも、心得候て可被申候、細砕源介申含候、以上、 伊集院源介罷上候、ひん所に文のほせ候、うれしくおもひまいらせ候、 一高麗引陣茂やかてたるへき由候間、又八郎殿むかへと、國部ぬいと申者遣候、定而頃ハ致渡海候覧と申事ニ候、 一從幸侃被頼候哉、安侘三州より我等むすめ事、留主中是非共庄内へつかハし候へと被申候、其返事、我等類主と云、ことに源次郎方モ上洛之事ニ候條、今程つかハすへき儀ハかかつて成間敷候、下向候ハ、、其時之儀たるへき由申取候、身つつから下向候ハ、、やかて申されへき間、可有由断候、 一父子ミなく星供御成就、又高麗・京都へ祈念として不動こま一七日、般若寺別當坊修行させられ候由、誠滿足之至候、又八郎殿も歸朝程有間敷候、 「朱カキ」 「慶長元年」卯月五日 義弘より 宰相殿
根拠・参照箇所
geminiによる原文写し
投稿者
keicho
投稿日
2026-08-10

書き下し文

管理人採用済み
「義弘公御譜中」 「正文加治木衆城権右衛門に在り」 尚々(なおなお)新正八幡へ屋根吹き板の事、それ元にて談合申し上げ候ように、富山備中入(とみやまびっちゅうにゅう=富山備中入道)へ弓断(断り・相談)致すべき由、我等申し上げ候由、それより申さるべく候。まっ直ぐ雨露に御濡れ候わぬように、才覚肝要に候。 一、主事(しゅじ)事も座主前よりならぬ事に候わば、貸し候儀分々(ぶんぶん)様においては、肱枕前(ひじまくら=家臣の通称など)よりも断り候て然るべく存じ候。 兼ねてまた石へ祈念の札・拝符(はいちち=拝札)一々頂戴いたしました候、誠に志のほど、一入(ひとしお)喜びに存じ候。 将又(はたまた)又八郎殿(忠恒)帰朝、さぞかし嬉しく思い候、そなたも同じ心にてぞ、すまし(清々しく)あるべく候。 次に僅かに候へども、御酒樽一荷持たせ候、賞玩(賞味)あるべく候。 またいずれも奉公申し、男女共辛労の由、それより心得頼み存じ候。眩枕(ひじまくら)夫婦へも、心得候て申さるべく候。細砕(詳細)は源介に申し含め候、以上。 伊集院源介罷り上り候、便りに文のせられ候(便りに託して手紙をお寄せになり)、嬉しく思いまいらせ候。 一、高麗(朝鮮)引陣(撤退)もやがて(近く)あるべき由に候間、又八郎殿出迎えと、国部縫殿と申す者を遣わし候、定めて頃合いは渡海致し候覧と申す事に候。 一、幸侃(こうかん=伊集院幸侃)より頼まれ候哉、安侘三州(安楽寺三州)より我等娘の事、留守中是非とも庄内へ遣わし候えと申され候。その返事、我等類主(家長・当主)と云い、特に源次郎(忠真)方も上洛の事に候条、今程遣わすべき儀は係りて成るまじく候、下向候わば、その時の儀たるべき由申し取り候。身つつから(自分自身が)下向候わば、やがて申されるべき間、油断有るべからず候。 一、父子みんな星供(ほしく=星祭り・祈祷)御成就、また高麗・京都へ祈念として不動駒(不動明王の供養)一七日(7日間)、般若寺別当坊修行させられ候由、誠に満足の至りに候。また又八郎殿も帰朝の程有るまじく候。 卯月(4月)五日 義弘より 宰相殿
根拠・参照箇所
geminiによる書き下し文
投稿者
keicho
投稿日
2026-08-10

現代語訳

管理人採用済み
追伸。新正八幡宮の屋根を葺く板の件ですが、国元で相談しておられるように、富山備中入道に対して義弘(私)が断りを入れた旨を、そちらからうまくお伝えください。何よりも(お社が)雨露に濡れないよう手配・才覚することが肝要でございます。 一、主事の件も、もし座主(総責任者)のお考えに沿わないことでしたら、貸し出す分量や条件については、肱枕(留守居役の家臣)からしっかりと断らせるのが妥当と存じます。 また以前、石(あるいは石の神仏)へ送られた祈念の札や拝符(お札)を確かに一つひとつ受け取りました。本当にあなたのお気持ちの深さに、一塩嬉しく思っております。 また、又八郎(忠恒)が帰国すること(の知らせ)になり、さぞかし嬉しく思っておられることでしょう。あなたも(私と)同じ気持ちで、晴れやかな心持ちでお過ごしのことと存じます。 次に、ほんのわずかな品ですが、酒樽一荷(ひとたる)を持たせましたので、どうぞ皆様でお召し上がりください。 また、どちらの屋敷でも奉公してくれている男女ともども苦労しているとのこと、そちらからよろしく労いのお声がけを頼みます。肱枕の夫婦へも、よろしくお伝えください。細かい事情は(使いの)伊集院源介に言い含めてあります。以上。 伊集院源介が大坂(京都)へ上ってまいりました。彼の便りに託して手紙を寄せてくださり、大変嬉しく思っております。 一、高麗(朝鮮)からの撤退も近く行われる見込みとなりましたので、又八郎(忠恒)を出迎えるため、国部縫殿という者を遣わしました。今頃はちょうど海を渡っている頃かと存じます。 一、伊集院幸侃から頼まれたのでしょうか、安楽寺三州(安侘三州)から「留守中に義弘様の娘(御下)をぜひ庄内(伊集院の領地)へお越しいただきたい」と言ってまいりました。その返事として、「私が家の当主であり、特に(娘の夫である伊集院)源次郎(忠真)も上洛する予定であるから、今この時期にお送りすることは絶対に無理である。私が国元へ下向した際に改めて決めるべきことだ」と断っておきました。私自身が国元へ下向した際には、再び言ってくるでしょうから、油断なさらないようにしてください。 一、(私ども)父子全員のために星供(星祭りの祈祷)を無事修めてくださり、また朝鮮や京都の無事のために不動明王の祈祷(不動駒)を7日間にわたって般若寺の別当坊に修行させたとのこと、誠にありがたく満足の至りに存じます。又八郎もまもなく(朝鮮から)帰国することでしょう。 4月5日 義弘より 宰相殿(妻・実窓院)
根拠・参照箇所
geminiによる現代語訳
投稿者
keicho
投稿日
2026-08-10