← 検索結果へ戻る
後編2-No.882文書

島津義弘書状

(天正20年)5月4日

確認度

概要

島津義弘が、国元から船が上らないため、名護屋から壱岐、対馬を経て借船を乗り継ぎ、供五・六人ほどで朝鮮の釜山海へ到着した経緯を妻の宰相殿へ知らせる。 船酔いと航海の苦労、船の破損や修理、同行者の動静を細かく記し、釜山周辺の広さや現地の様子にも触れる、朝鮮渡海直後の私信である。

登場人物

島津義弘、宰相殿、島津久保、又一郎長満

宛先

宰相殿

キーワード

島津義弘、宰相殿、朝鮮出兵、釜山海、名護屋、壱岐、対馬、借船、船酔い、私信

冊子頁

559~560

読込量

面白さ

★★★★★

原文を確認

(5)457~577頁(天正18~天正20).pdf

COMMUNITY TRANSCRIPTION

採用済みの翻刻・訳文

3

管理人が採用した投稿です。AIを利用した原文写しを含む場合があります。研究・引用の際は鹿児島県公式PDFの原文をご確認ください。

原文写し

管理人採用済み
「義弘公御譜中」 「正文在加治木飛城権右衛門経秀」 そのゝち日敷になり候へハ、子共いつれもくゝめつらし解こそ候へ、くにもとまかり出候みきりより、こんとのちんたち、よういとゝの行をりかたく存候つれ共、つもりての舟共にのほり候ましきとハ夢にてもおほえず候、名護屋より壱岐へもちんふねにて、供衆五六人めしつれまかりわたり候、それよりハいつれのうらくも船とゝめのよし候て、賃舟などの儀もなりかねニて、しきね藤左衛門尉ふねにて久保つ海せしめ、我等ハくによりかへ米こき候加治木よりの五まいほにて、つしまへわたり候、中と言も衆なとめしつれ候事ならず候、國にくの大ミやう小ミやう舟敷をかさり、われもく/\と打わたられに、かり船の事にて時分をくれ、諸くん衆の跡になり候間、こゝかしことまりくしのひわつらひ、あはれをとゝめたる事にて候、ことさらつしまよりかうらいふさんかいと申ところニ、きのふまかりつき候、中より風あらく、うみのおもてくらやみになりて、ふね共こなかなたはしりちり、われも人もあひ候事筆にも及かたく候、又一郎殿船にもやうくけさこそたつねあひて、名古屋と壱岐ハ十里ほとも有へく候、壱岐と對馬ハ三十里、對馬なとのり三十五里程と申候、それよりかうらいふさんかいと申みなとハ四十八里といひ候、かの渡りくの八万間と聞をよひ候つる、見え候ふんかいハ家敷百程あるへきと見え候、弓前なれ候てはたらきなどの事ハ、手に持ちた候ぬよし候、かうらいの事ハなによりもたやすい候、今月ちうにあいすむへきときこえ候、追付今日四日國中のやうにまかり出候間、おいくだよりをもとめ申候、就中又八郎長滿むすめ心得あるへく候、外山ふう・大しん・とうかうおは・おちさんこ・女な共、其外細所定衆・くうしんふう、其外めしつかい候上中下、りうしなきやうにほうくう候へと申たく候、又きねんの人衆いつれへも、從其心得憑入候、よろつ申度事はしりはかり候へ共、打出候みきりに候へハ、海きわの砂の上のにて、火をともしかき候間、まつく筆をさしおき候、よろつめてたき由、さきくより可申候、かしこ、 「朱カキ」 「天正廿年」五月四日 宰相殿 よし弘
根拠・参照箇所
geminiによる原文写し
投稿者
keicho
投稿日
2026-08-10

書き下し文

管理人採用済み
「義弘公御譜中」 「正文加治木飛城権右衛門経秀に在り」 その後日数になり候えば、子供いずれもくくめつらしく候(そうろう)解こそ候へ、国元まかり出で候みぎりより、今度の賃立ち(珍立ち・旅立ち)、用意調え難く存じ候つれども、つもりての舟共(ふなども)に上り候まじきとは夢にてもおぼえず候、名護屋より壱岐へも賃船にて、供衆五六人召しつれまかり渡り候、それよりはいづれの浦くも船留めのよしにて、賃舟などの儀も成りかねにて、敷根藤左衛門尉船にて久保つ海せしめ、我等は国よりかへ米こき候加治木よりの五枚帆にて、対馬へ渡り候、中と言(とも)衆など召しつれ候事ならず候、国国の大名小名舟敷をかざり、われもわれもと打ち渡られに、仮船の事にて時分を遅れ、諸君衆の跡になり候間、ここかしこ止まり苦しのびわづらい、哀れをとどめたる事にて候、殊更対馬より高麗釜山海(ふさんかい)と申すところへ、昨日まかり付き候、中より風荒く、海のおもて暗闇になりて、船共こなかなた走り散り、われも人も逢い候事筆にも及び難く候、又一郎殿船にもようやく今朝こそ尋ねあいて、名古屋と壱岐は十里ほども有るべく候、壱岐と対馬は三十里、対馬などのり三十五里程と申候、それより高麗釜山海と申す港は四十八里といい候、かの渡りくの八万間と聞き及び候つる、見え候釜山海は屋敷百程有るべきと見え候、弓前(ゆまえ)なれ候て働きなどの事は、手に持ちたもうぬよし候、高麗の事は何よりもた易く候、今月中合い済むべきと聞こえ候、追付今日四日国中のようにまかり出で候間、おいくだよりをもとめ申し候、就中(なかんずく)又八郎長満娘心得あるべく候、外山ふう・大心・東向おは・おちさんこ・女な共、其外細所定衆・空心ふう、其外召し使い候上中下、理由(りゅう)なきように奉公せよと申したく候、又祈念の人衆いずれへも、それより心得頼み入り候、よろづ申し度き事は知り計り候へ共、打ち出で候みぎりに候へば、海きわの砂の上にて、火を灯し書き候間、まったく筆を差し置き候、よろづめでたき由、さきく(幸く)より申すべく候、かしこ、 五月四日 よし弘 宰相殿
根拠・参照箇所
geminiによる書き下し文
投稿者
keicho
投稿日
2026-08-10

現代語訳

管理人採用済み
その後、日数が経ちましたが、子供たちは皆どうしているか珍しく恋しく思われます。国元を出発した時から、今回の旅立ちの準備は整えにくいと思ってはおりましたが、積み重なって船にさえ乗れなくなるとは夢にも思っていませんでした。名護屋から壱岐へ渡る際も(正規の船が立てず)賃船を雇い、お供をわずか5、6人連れて渡りました。そこからはどの港でも船止め(出航制限)がかかり、賃船の手配すら困難だったため、敷根藤左衛門尉の船で久保の海(壱岐〜対馬間)を渡り、私は国元から買い米を運んできた加治木の「五枚帆」の船に乗って、なんとか対馬へ渡りました。途中で供の者や家臣を大勢連れて行くことなど全くできませんでした。諸国の大名・小名が船に旗印を飾って我先にと渡海していく中で、私どもは臨時の借り船であったために時期を逃して遅れをとり、諸将の後ろになってしまいました。そのため、あちこちの港で立ち往生して大変苦しみ悲しみ、誠にお気の毒な(惨めな)状況でありました。 特に、対馬から朝鮮の釜山海(ぷさんかい)という場所へは、昨日ようやく到着いたしました。道中、途中で風が激しく吹き荒れ、海面が真っ暗闇となって、船団があちこちへ散り散りになってしまい、自分も他の者たちも互いの無事を確認することすらできないほど(酷い状況で)筆舌に尽くし難い有様でした。又一郎(長男・島津久保)の船にも、今朝になってようやく探し当てて合流できた次第です。 なお、名護屋から壱岐までは10里ほど、壱岐から対馬までは30里(あるいは35里ほど)、そこから朝鮮の釜山海という港までは48里と言われております。かの海峡の幅は「八万間」と聞き及んでおりましたが、目の前に見えます釜山海の港町は、屋敷が100軒ほどあるように見受けられます。(敵の)弓前(戦いぶり・武勇)については大したことはなく、戦功を立てるのも手に取るように容易い(手応えがない)とのことで、朝鮮攻略の件は何よりも易しいことであり、今月中には片が付くであろうと聞いております。 本日4日、追って国の中(陸路の進軍)へ出発いたしますので、折々の便りを求めて(この手紙を)差し上げます。とりわけ、又八郎長満の娘(※忠恒、忠清、御下のこと)には心得るようにお伝えください。外山ふう、大心、東向おは、おちさんこ、女中たち、その他にお使いの者たち、空心ふう、そのほか身分の上中下を問わず召し使う者たちには、落ち度のないよう(不平なく)奉公に励むようお伝えいただきたい。また、(私たちの無事を祈る)祈禱を行ってくれている人々へも、そちらからよろしくお伝えくださるよう頼み入ります。 言いたいことは山々ございますが、ちょうどこれより出陣する間際であり、海辺の砂の上で明かり(火)を灯しながら急ぎ書いておりますので、これで筆を置くことにいたします。万事めでたい旨、今後の無事の便りから(改めて)お伝えいたしましょう。かしこ。 (天正20年)5月4日 よし弘(島津義弘) 宰相殿(妻・実窓院)
根拠・参照箇所
geminiによる現代語訳
投稿者
keicho
投稿日
2026-08-10