後編2-No.1195文書
島津義弘書状
文禄2年9月9日
確認度高
概要
兄・久保が九月八日夜半に急死したことを又八郎忠恒へ知らせ、壱岐・対馬まで来ている場合でも、無理に朝鮮へ渡らず在国へ戻るよう諭す。 久保見舞いという渡海の目的が失われた以上、留守宅の宰相殿ら家族を支えることが大切だとして、海路の危険と忠恒の身を案じた義弘の私信。
登場人物
島津義弘、島津忠恒(又八郎)、島津久保、宰相殿
宛先
島津忠恒(又八郎)
キーワード
島津義弘、島津忠恒、又八郎、島津久保、死去、壱岐、対馬、渡海中止、宰相殿、家族書状
冊子頁
736頁
読込量
中
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★★★★★
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(7)713~857頁(文禄2~文禄3).pdf
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採用済みの翻刻・訳文
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原文写し
管理人採用済み「御文庫四拾八番箱 義久公 義弘公 巻中」「家久公御譜中に在り」
尚々對馬・壱岐邊迄と申て候へ共、壱岐嶋まで被越候共、如國元被罷歸候て、さいしやうたつきなき跡を見廻有へく候、又對馬迄被越候ハ、、こゝもとの一との間にて候之條、此地へ被渡候ても可然候する哉、何も爲御心得候、
さても昨日八日夜半、久保死去候、我等力落可有推量候、此中内々被煩候へ共、今かやうニ可被相果之跡にてハ無之候ッ、覺外之儀ニ候、然者貴所事、此比可被參之由、先日申越候キ、自然壱岐・對馬迄渡海候ハ、、涯分日なミをきはめ、此地へ可被罷渡候、又いまたなこやへ被居候者、先々如國元歸宅可然候、今度被參候事も、久保へ御見廻のため迄之儀候條、如此之上者不入事候、殊さいしやう誠つきなく可爲迷惑之間、貴所以在宅ちからニ可被成候事肝要候、兼又於在所とゝかさる者共被近付、又者無人にて立出事共、是非無用儀候、よくくたしなミ専一候、勿論隣所なとのありき、ひたすら停止たるへく候、今度供衆もたれく召列候哉、中途かいふん無越度之様ニ、可申調之由申度候、恐々謹言、
「朱カキ」
「文禄二年」九月九日
義弘(花押)
(家久)
又八郎殿
- 根拠・参照箇所
- geminiによる原文写し
- 投稿者
- keicho
- 投稿日
- 2026-08-10
書き下し文
管理人採用済み「御文庫四十八番箱 義久公・義弘公巻中」「家久公御譜中に在り」
尚々(なおなお)対馬・壱岐辺までと申して候へども、壱岐島まで越され候とも、国元の如く罷り帰られ候て、宰相たつき(頼つき)なき跡を見廻りあるべく候、また対馬まで越され候わば、ここもとの一との間(ひととのま=一息の間・すぐ目と鼻の先)にて候の条、この地へ渡られ候ても然るべく候するかな、何も御心得のため候。
さても昨日八日夜半、久保死去候、我等力落(ちからおとし)推量あるべく候、この中内々煩われ候へども、今かように相果てられるべき跡にてはこれ無く候っ、覚外の儀に候、然れば貴所事、この頃参らるべきの由、先日申し越し候き、自然壱岐・対馬まで渡海候わば、涯分(がいぶん)日並みをきわめ、この地へ罷り渡るべく候、また未だ名古屋(名護屋)へ居られ候わば、先々国元の如く帰宅然るべく候、今度参られ候事も、久保へ御見舞のためまでの儀に候条、かくのごときの上の者は不入(いらぬ)ことに候、殊に宰相誠につきなく(頼みなく)迷惑たるべくの間、貴所在宅において力になされるべき事肝要に候、兼ねてまた在所において、とどかざる者共近付け、または無人にて立ち出で候事共、是非無用の儀に候、よくよくたしなみ専一に候、勿論隣所などのありき、ひたすら停止(ちょうじ)たるべく候、今度供衆も誰々召し連れ候哉、中途海分(かいぶん)越度(おちど)無きように、申し調うべきの由申したく候、恐々謹言、
九月九日
義弘(花押)
又八郎殿
- 根拠・参照箇所
- geminiによる書き下し文
- 投稿者
- keicho
- 投稿日
- 2026-08-10
現代語訳
管理人採用済み追伸。対馬や壱岐のあたりまでとお伝えしておりましたが、もし壱岐島までお越しになったとしても、国元へお戻りになって、頼る者もなく落胆している宰相(母・実窓院)の様子を見てやってください。また、もし対馬までお越しになったのであれば、ここは目と鼻の先の距離でございますので、こちらの陣中(朝鮮)へ渡ってこられてもよいでしょう。万事、お含みおき(ご判断)ください。
さて、昨日8日の夜半、久保(義弘の長男)が死去いたしました。私がどれほど気落ちしているか、お察しください。このところ密かに病に伏してはおりましたが、今このように亡くなってしまうような状況では全くありませんでした。思いもよらない事態でございます。
つきましては、あなた(又八郎・忠恒)のことですが、この頃(こちらへ)お越しになるとの旨を先日申し送ってきておられましたね。もし自然と壱岐や対馬まで海を渡っておられるならば、できる限り日程を繰り上げて、こちら(朝鮮)へお渡りください。しかし、もし今もなお名護屋におられるようでしたら、ひとまず国元へお帰りになるのがよいでしょう。今回あなたがお越しになるのも、久保の見舞いのためだけのことでありましたから、このような事態になってしまった以上は、(わざわざ渡海して来られる)必要はございません。
とりわけ、宰相(母)は(長男の久保を失い)誠に頼るあてもなく困惑(落胆)しているでしょうから、あなたが国元に留まって(母の)力となってやることが最も肝要でございます。
また前々から申している通り、国元(在所)において軽率な者たちを近付けたり、供も連れずに無人で外出したりすることなどは、絶対にやってはならないことです。くれぐれも身を慎むことを第一としてください。勿論、近所などへみだりに出歩くこともひたすら禁止(自重)なさってください。今回の(上洛・移動の)お供には誰々を召し連れておられますか。道中や海上において何の手落ち(落ち度)もないよう、よく手配なさるようにとお伝えしたく存じます。恐々謹言。
9月9日
義弘(花押)
又八郎殿(島津忠恒)
- 根拠・参照箇所
- geminiによる現代語訳
- 投稿者
- keicho
- 投稿日
- 2026-08-10