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前編2-No.456記事

島津国史

年月日未詳

確認度

概要

島津国史の記事として、島津氏久(齢岳公)が鹿児島で六十歳で没し、大姶良の龍翔寺に葬られ、男子二人の長男を島津元久(恕翁公)、次男を島津久豊(義天公)としたことを記す。元久は貞治二年に大姶良で生まれ、母は伊集院長門守忠國入道道忍の娘で、嘉慶元年に二十五歳で襲封した。氏久は鹿児島から大姶良・志布志を経て鹿児島へ戻り、狭い東福寺城の拡張を望んだが死去し、元久が鹿児島へ移った際に別城を築いて鹿児島本城(清水城)と称した経緯と、移居時期に関する諸史料の異同を考証する。さらに嘉慶改元・事始と、今川宮内大輔に属して凶徒討伐に忠節を尽くすよう命じた軍事書状を収める。

登場人物

島津氏久(齢岳公)、島津元久(恕翁公)、島津久豊(義天公)、伊集院忠國(道忍)、元久の母、今川宮内大輔

宛先

キーワード

島津国史、島津氏久、齢岳公、島津元久、恕翁公、島津久豊、義天公、伊集院忠國、道忍、大姶良、龍翔寺、鹿児島、志布志、東福寺城、鹿児島本城、清水城、襲封、嘉慶改元、今川宮内大輔、凶徒討伐

冊子頁

132

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★★★★★

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(1)例言・目次・本文1~155頁(延文2~応永元).pdf